 |
 |
■■■
■■
■ ペテロに伝えてね
今日はイースター礼拝でした。
イエス様のお墓が空になっていたことは動かしようがないことで、
もしイエス様が復活されていないのなら、当時の反対者たちも、
お墓を開けてイエス様の骨を示せば、すぐにこの話は止んだはずです。
示せなかったのは、墓が空だったからです。
そう言うと、次には誰かが盗んだという説が出て来るでしょうが、
誰も盗む動機のある人はいません。
弟子が盗んだという説が当時からありますが、
マタイ27:62〜のところに祭司長、パリサイ人がピラトのところに
集まって、弟子に盗まれないよう番兵を置き、墓の入り口の大きな石には
念入りに封印までした、と書いてあります。
それでもイエス様はよみがえって、墓が空っぽになってしまったため、
祭司長たちが兵に多額の金を握らせ、「夜、眠っている間に弟子たちが
やって来て、イエスを盗んで行った。」と言え。と命じていたことが
聖書にすっぱ抜かれています。(マタイ28:11〜15)
それに、そもそも弟子たちにも盗む動機がありません。
なぜなら彼ら自身が一番、復活を信じていなかったからです。
ペテロをはじめ、皆、イエス様が捕らえられると恐れをなし、裏切って逃げてしまったのです。
そしてイエス様が十字架にかかりお亡くなりなったのを見届けると、
皆、失意のどん底にありました。
けれども、イエス様が彼らの所に現れてくださいました。
裏切った者たちをも見捨てずに「平安あれ」と近づいてくださいました。
そして、傷のあるご自身の手と、わき腹を、弟子たちにお見せになられました。
弟子の罪を責め立てるのではなく、裏切りを問い詰めるのでもなく
静かに、釘の穴のあいた手を、槍で刺されたわき腹をお見せになりました。
「あなたがたの裏切り。初めから知っています。
あなたがたの弱さ。そのためにわたしは十字架につきました。」
「シャローム」「安かれ」「平安」です。
そのイエス様を目の当たりにして、彼らは変えられました。
この方は私の罪のために死なれ、よみがえらえた主である!
そこから弟子たちは変えられたのです。
十字架の救いと復活の希望を宣べ伝え、迫害にあっても、殺されようとも
宣べ伝えることをやめませんでした。
弟子が遺体を盗んだのであれば、復活が嘘なのを知っている訳で、
嘘と知りながら命を懸ける人があるはずがありません。
今日の礼拝では、開いたのはマルコ16章1〜8節でした。
特に心に迫ったのは7節でした。
復活を知った女たちに、御使いが神のことばを伝えます。
「・・・ですから行って、お弟子とペテロに、『イエスは、あなたがたより先に
ガリラヤに行かれます。前に言われたとおり、そこでお会いできます。』と
そう言いなさい。」
と、ここに「お弟子とペテロに」
「ペテロに」とわざわざあることです。
神様がそう言いなさいと御使いに伝言を託したことに、神様の愛を覚えました。
「行って弟子たちに伝えなさい。ペテロにも忘れずにね。」
ペテロが漏れないように。
主を裏切ってしまって、失意のどん底にあるペテロにも必ず伝えるんだよ。
イエスは生きているよ。またあなたと会うよ。
と。
「He lives」
2023年04月09日(日)
|
|
 |