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■ エズラ記1〜6章
聖書通読は、エズラ記に入りました。
神を忘れて偶像に走るイスラエルの民に対し、
神様が忍耐に忍耐を重ね、彼らの元に使者たちを
遣わし、早くからしきりに使いを遣わされ
真の神に立ち返るよう何度も語り掛けられました。
しかし、民らは罪を犯し続け、自分中心に生きて
神の目を悲しませるような忌まわしい習わしを
止めることはありませんでした。
そこでついに神の怒りが下り、民らは捕囚となり
多くの年月を異教の地で暮らすことになりました。
その多くの年月が立った後、
主はペルシャの王クロスの霊を奮い立たせたので、
王は王国中におふれを出し、エルサレムにもう一度
神の宮を再建するおふれを出したのでした。
それの続きがエズラ記です。
それもまた簡単には行きませんでした。
神の神殿を再建することに反対し妨害しようとする
動きがありました。
それも巧みに、真っ向から反対するのでなく
仲間のように見せかけて
「手を一緒に組もうではないか」
とすり寄って来たのです。
しかも神の名を使いつつ。
「私たちもあなたがたと一緒に建てたい。
私たちはあなたがたと同様、あなたがたの神を
求めているのです。
アッシリヤの王エサル・ハドンが
私たちをここに連れて来たとき以来、
私たちはあなたがたの神に、いけにえを
ささげてきました。」
と。(4:2)
「きょうの力」では
「十字架に対する真に、へりくだった服従と、
イエスにすべてをささげることを納得する」
という絶対的条件抜きでは
どんなに好条件を見えることであっても、狡猾な
誘惑であると書かれています。
エズラ記4章では、その誘惑を見抜き、
きっぱりと断るのが気持ちいいです。
「ゼルバベルとヨシュアとその他のイスラエルの一族の
かしらたちは、彼らに言った。
『私たちの神のために宮を建てることについて、
あなたがたと私たちとは何の関係もない。
ペルシャの王、クロス王が私たちに命じたとおり、
私たちだけで、イスラエルの神、主のために宮を建てる
つもりだ。』(4:3)
「すると、その地の民は、建てさせまいとして、
ユダの民の気力を失わせ、彼らを脅した。」
(4:4)とあるように、
やはり化けの皮を被っていたことがあらわになり
悪の本性を出したのでした。
5章では、
敵の妨害によって一時神の宮工事は
中断されていましたが、ハガイとゼカリヤのふたりの
預言者が起こされて工事は再開されました。
すると敵は、今度はあのダリヨス王の名を出して
妨害しようとしてきます。
(聖書は夢の空想物語りではないですよ。
世界史に出てくるダリヨス王です。)
けれど5節にはこうあります。
「しかしユダヤ人の長老たちの上には神の目が
注がれていたので、このことがダリヨスに報告され、
ついで、このことについての書状が来るまで、
この者たちは彼らの働きをやめさせることは
できなかった。」
とあります!
また、ダリヨス王に送った書状の中には、
『だれがあなたがたに命令を下して、この宮を建て、
この城壁を修復しようとさせたのか。』と尋ねたとき、
彼らは次のように返事をよこして言った。
として、このように書かれています。
『私たちは天と地の神のしもべであり、ずっと昔から
建てられていた宮を建て直しているのです。』
(5:11)と!
そして、6章では
ダリヨス王の心を動かしたもう歴史の主が、
彼の心をユダヤの人々に向けさせ、神の宮を
建てることを許可し、
これを成し遂げたもうたのでした。
「これは、主が彼らを喜ばせ、
またアッシリヤの王の心を彼らに向かわせて、
イスラエルの神である神の宮の工事に
あたって、彼らを力づけるようにされたからである。」
(6:22)
神様はすべてのものの上に立つ主であり、
王の王であり、
ご自分の御心を成し遂げられます。
2023年02月22日(水)
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