書泉シランデの日記

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『百人一首の作者たち』
2006年04月27日(木)

著者は目崎徳衛。そういえば、学生時代に文庫本でなく出ていたような気がする。後ろをみて確かめるとやっぱりそう。でも、学生のとき読んでも面白くなかっただろう。なにせ無知だったから。

天智天皇から後鳥羽院までの百人、結構、それぞれドラマがあるもんだなあ、と感心した。普通「百人一首」は歌だけ読む。(坊主めくりだけという人もいるけど。)でも、つぶさに見ると、その時々の政治情勢のなかでずいぶんみなさんご奮闘だったようだ。そこで文学の理解には歴史の理解がかかせないねえ、と思う私。何も閻魔大王の配下になったような派手なエピソードを持たなくても、地味なおっさん方は地味なりに人生のドラマですわ。

ただ、本書は史料の直接の引用はそう多くなく、目崎先生の言葉を信じるしかない。多少甘いといえば甘いし、想像たくましいやね、と思わせる節もある。が、しかし、それを批判してしまったら、万事休す。だからこれは啓蒙的で優れた内容ですと断言しましょう。読めばたちまち歌に人の息吹が感じられまっせ。

さて、こういうものを読んでいつも不思議に思うことだけれど、「天皇」が絶対的な神様だった時代なんて、ほんとうに短いんじゃないの?ということだ。長い歴史を振り返ったとき、幕末にはちょいとラディカルな人もいるが、近代の一時期を除けば天皇って絶対的な支配者ではない。それなのに、どうして<昔は天皇が神様だと思われていた>ような物言いがまかり通るのかしらん。天皇が島流しされていたこと、ご存じでない?

最近、日本史を選択しない高校生も多いし、古文の時間は作品の内容を考えるような授業がほぼありえないし、だんだん歴史を自分なりに検証できない人も増えるんだなあ、と暗い気持ちになる。

「百人一首」から逸れてしまった。「百人一首」成立時分のごたごたも十分面白いが、個々の歌人を歴史的なパースペクティブにおくとなお面白い。で、20年以上前に出版されたものが昨年文庫化されたわけである。今はこういうものを新たに書き起こせる人はいないのだろうか、それとも昔のを使うのが安上がりなんだろうか。両方かな。ちょっと寂しい、あ、また暗い気持ちになる。




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