同窓会、というものは、どこでも上意下達が当然なのだろうか? 在京の高校同窓会(全学)があり、来年度は私たちの学年が幹事学年だから、と夏前から強圧的な電話がかかってきたりしていた。この電話はババ抜きと心得て人に回した。 さまざまな経緯があったのだろうが、やむなく引き受けた人がいた。ご苦労様である。しかし、その人を通じて、来年幹事をやるべく、そのためにこの秋に集まりを持て、という命令が下った。 私には同じ学校に10年先に入って出たからというだけで、他人に命令できる神経が理解不能である。デフォルトで同窓会(しかも出てもいない同窓会)には協力するもの、と決め付ける神経もいかがなものか?そんな魅力のある団体じゃないもの。 卒業生名簿に名前があることと、同窓会に参加することとは別ではないのか?そういう不愉快な団体になぜ参加したり、協力したりすることが「常識」なのだろう?そういえば、大学のほうは、この点、まことにすっきりしている。 今回の召集も、お代官様が紅葉狩りをするによって、沿道の道の補修をいたす、ついては各部落から人足を出せい、とそんな感じである。なんで? 最初にうちにかかってきた「先輩」の電話はほとんど脅迫に近かった。「そろそろ同級生が死ぬ」だの「癌や病気になるようになるから、今のうちに仲間をそろえておかないと」だの、無礼千万、余計なお世話だっつうの。 同窓会ってのはどこでもこんなものなんでしょうかね?無関心な学年があってもいいじゃないか、と思うのだけれど・・・。田舎の高校ってイヤ!
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