書泉シランデの日記

書泉シランデ【MAIL

My追加

犬が死んだ
2005年08月26日(金)

さっき犬が死んだ。
安楽死させてやれなかったことを、最後の3時間くらい猛烈に後悔した。
原稿の仕上げをしていなかったら、もっと時間があったら、自分で殺してやっていたかもしれない。

私や家族は、犬が死に至る道程を目の当たりにしながら、生死をめぐっていろんなことを一杯考えることが出来たし、両親や義母の場合に応用できそうな気配りをも学ぶことが出来た。衰弱する生き物を日々世話しながら、息子は私よりももっと「初めて」に出会ったはずだ。

そういう意味では、今月初めの発作で寝たきりになったときに、安楽死させてもらえなかったからこそ得られたことはたくさんある。

でも、私たちの学びは犬の苦しみ、特に最後の数時間の見るに耐えないほどの苦しみと引き換えるほどのことだったんだろうか。自分は軽薄なままでもいいから、犬を早く楽にしてやりたかった。

犬には死を感じる力がない、という。苦しみは感じても、その先の「死」の恐怖はないのだ、と。「死」は恐怖なんだろうか。昨年の6月に余命宣告をされてから、犬にとっては、自分の身体が不思議に思い通りにならず、戸惑うばかりだったと思う。朝晩の散歩はなくなるし、ちょっと庭を走れば倒れてしまうようになったのだから。階段も抱かれてあがるようになっていた。この8月に入ってからは本当に弱った。「死」の救いが見えない犬には日々苦しいだけだったのではないか。

今は静かに犬ベッドに横たわっている。私たち家族は犬のいない新しい暮らしに慣れていくのだろう。帰宅時間を気にしなくていい暮らし。日に何度も庭に出なくて済む暮らし。庭の虫を気にすることもなくなるだろう。夜空を見上げることもなくなるだろう。犬がいることで暮らしがどれほど豊かになっていたか、それを忘れないうちに記憶にとどめなくては。



BACK   NEXT
目次ページ