舞城王太郎の推理小説?である。 作者のペンネームすら私の趣味ではない。 何で読んだか? ― 息子が読んでみろといったから、親の義務感で読んだ。書店で見ても、ペンネームではじいてしまう一冊だ。 大体、王城舞太郎なのか舞城王太郎なのか、それすら覚えるのに手間がかかった。舞茸の王子様のような名前である。なんだか知らないが、それだけで、私が文章の虚構に求めるものと距離がありすぎる。 中身について。 帯に「文圧」という言葉が使ってあった。これには同感する。ただし、それが文章に必要なものかどうかの論議を経なければならない。(が、面倒なのでそんなことはしない。) 早送りのバイオレンス映画みたい。 たぶん最終的には血の宿命みたいなものが出てくるんじゃないかと思うが、そういうテーマがあるとすれば、この作品の文圧は文鎮の用をもなさない。 (話がこの1冊では完結しないから、私はたぶん4部作なんじゃないかと想像する。4というのは、主人公が四郎で、1から3まで全員生きているから。その兄弟を描く中で一族が描かれ、親父や祖父の秘密があばかれる、と想像している。読みもしないのに大胆だわね。) 推理小説としての謎は子供だまし。つまんね。 ハードボイルド気取りで、随所にチャンドラーが引用される。チャンドラーを読んだことのある人には、おい、おい、止めてくれよ、と言われるのではないかしら。私は最近になって、ハードボイルドの主人公=自分語りの男、と断定したから、主人公に特に魅力は感じない。 バイオレンスものの常として、セックスもちゃんとついてます。でもなんか濡れ場が下手。想像力をかきたてられない。男ってこういう場面があればそれでうれしいのかなあ、と思ったりした。が、あとで息子と話をしていたら、彼のほうから、「なんかセックスシーンが余計な感じなんだよな」とのたもうた。おばさんの私はもちろんそういいたいが、20歳になりたての息子の口からそれを聞くと、しみじみ、不出来な描写なんだなあ、と作者の舞茸氏が気の毒だ。 道具立てが派手で、大人にはチープすぎる「かっこよさ」は本をあまり読まない若い人には受けるのかもしれない。私は昔の人なので、これを読みながら、寺沢なんとかのマンガ「コブラ」とか、饒舌なゴルゴ13とか想像してしまった。そうでなければ、杉田かおるや叶姉妹を「セレブ」だと思ってしまう安物の感性。 息子に「なんでこれがいいと思ったの?」と聞いたら「いや、友達が面白がるから読んだんだけれど、そんなにいいかなあと思ったからさ」という。「あのね、どうせなら読んで面白かったものを読ませてくれない?私だって忙しいんだよ。」 「これ、面白いぜ、三回目だ」と彼が読んでいるのはウルフの『灯台まで』。ウルフを読むやつがこんな駄作に付き合うな!
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