書泉シランデの日記

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自然に飼うこと
2005年08月08日(月)

自然にってどうすることなんだろう?
安楽死を実質上獣医さんに断られ、一応、我家も腹を決めたのだが、はた、と戸惑っている。

獣医さんが、下痢なら利尿剤を止めてみて、というので、当然、利尿剤を止めた。気管支拡張剤も一昨日、ひどい吐き気を催させたようなので、以来飲ませていない。じゃあ、他の薬はどうするんだ??あと3種類あるんだけど・・・。

薬は必要だから与えられていたのだろう。だとすれば、止めることは、緩慢な殺し?人だったら、このレベルだと病院での細かな管理のもとで、減量したり、薬を交換したりするだろう。

食餌についても、病犬食オンリーの日々だったので、何でも好きなものを、といわれたって、食べることで余計に苦しくなるようなものは避けてやりたい。それに、今更そんなことをいうのなら、今までは何だったのか。好きなものを与えることは病状悪化につながらないか?餓死より悪化がましということか?悪化してまた苦しみを繰り返すのがいい?

確かに、昼、納豆を食べてから、少し元気が出たようにも思う。夜はささみを水煮にしてやったが、これならあと一月くらいは持つかも、というような勢いで食べた。(朝は水でさえスポイト)とはいえ、残りの時間はただただ寝ているし、名前を呼んでも目覚めないようなこともある。

今日は発作がおきないのでありがたい。でも、排泄も小が2回しかないので心配でもある。大が順調に出るようなら、「何でも好きなもの」を食べさせることにもう少し大胆になれるのだが。

安楽死をあきらめて、自然に逝かせるとしても、一体どうするのが自然なのだろう?薬を一切絶つのは一応自然かもしれないが、食の自然はどうするの?結局、うちで飼われるようになってこのかた、「自然」なんてものとは縁がなく、獣医さんの言葉や本に書いてある情報に従って管理されてきた犬だ。最後の局面で、そんなことを要求されても悩むばかり。もちろん、その対極にある動物病院入院、点滴という形での最後は絶対拒否なのだが、死期が見えてきてからの心構えという点では、まだまだ修行が足りない。

安楽死は自分たちの身勝手ではないか、ということについては、何時間も家族で議論した。結果、自然死でさえ「最期まで看取ったという満足感と犬の苦しみとの引き換え」ではないか、という疑いを否定しきれず、安楽死を選ぶことにしたのだ。自分たちの手では殺せないのが卑怯だけれど、ともかくも犬の苦しみを自分たちの満足に引き換えるよりは、全部自分たちの身勝手だと人が罪を負い続けるほうがマシだと考えたのだが、飼い主は犬とともにもっと苦しまないといけないのだろうか。



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