書泉シランデの日記

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『ニューカマーと教育』
2005年07月19日(火)

ニューカマーとは、主に1970年代後半以降、日本に定住するようになった外国人のことを指す。インドシナ難民、中国帰国者、そして、入管法の改正によって大量に日本にやってきたいわゆる日系人などがニューカマーの大きな部分を占めている。(それに対してオールドカマーとは、それ以前から日本に定住している華僑や在日韓国・朝鮮人とその子孫をいう。)

別に昨日、日系ブラジルのL子さんに会ったからこの『ニューカマーと教育』を読んだわけではなく、L子さんに会おうが会うまいが、読む予定の本であった。首都圏と愛知県から3校を選び、フィールドワークをした教育学研究者たちの著した本である。ニューカマーの連れてきた子供たちは、<日本>という異文化にほうりこまれ、彼らなりに様々な方法でサバイバルを図るらしいが、その様子を報告し分析している。

報告と分析が冷静で(当然といえば当然だが)、結論を急がず、感情に走らない点にもっとも好感が持てる。同じニューカマーでも来日の背景や出身国での社会情勢、家族の歴史によって子供たちの適応情況はさまざまである。その多様さの中から、なんとか共通するものを掬いだし、最後の実践への提言につないでいる。

グローバル化が進む昨今、日本の学校は日本人だけのために存在してはならない、という言葉は、それなりにショッキングな響きを持つ。それは逆に、世界中どこへ行っても、その国の子供だけを相手にした教育であってはならないということになる。どこであれ同化を前提にした教育は、アイデンティティをなくした子供たちを生み出すばかりだ。さらに、子供たちの差異を認識せよ、「どの子も同じ」と安易にいってはならない、と説く。

本書の大半を占める事例報告と分析が緻密なものであるだけに、最後の提言もなかなかの説得力をもつ。仕事がらみで読んでおこうと思った本だが、心にしっかり響くものがあった。現場の先生たちでさえ、当事者でない限り、いまだにJSL(Japanese as Second Language)の子供たちを認識できていないのに、4年前にこうしてこの本を出版できたとはなかなかのものではないか。シランデを読んでくださる人の中で、JSLという言葉をご存知の方も決して多くはないだろうと思う。でも、JSLの問題は当事者や学校関係者だけでなく、子供を持つ親、地域の人たちが、それぞれの立場で、少しだけでも知ることで、かなり改善されるだろうに、と思う。そして、そういう状態=多様性を多様性として受け入れ可能な学校にすることは、実際、日本人の子供たちのためでもあるだろうに。

「みんな違って、みんないい」というフレーズ、ここ数年大流行だが、「違って」から「いい」までの論理や葛藤が何もないまま、この言葉だけでごまかす人たちが少なくない。多くの教育現場では、「みんないい」の「いい」は事実上「どうでもいい」の「いい」なのではないか。

(2001年 明石書店)






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