ご近所の市立図書館へ行く。 こんなところもPCから検索が出来るようになり、私のような無精者には便利、便利。これで出納が駅頭で出来たらいうことなし、だが、そこまでのサービスはない。 なんと、知人に教えられた徳富蘇峰の大著『近世日本国民史』がこんなしょぼい図書館にあったのである。もちろんオリジナルではなく、講談社学術文庫版だが、大正何年だかに出たような版は見ると手が汚れるので、私は講談社文庫で文句なしである。必要な巻しか見ないから全何巻かもよく知らないのだけれど、20巻以下ということはないだろう。こんな大著を『失楽園』や『五体不満足』や『セカチュー』があふれるような、大衆図書館でよくぞ購入していたものだ。 4冊借りてきたが、どれも購入以来20余年、借り出した人は私で2人めか3人目。新品同様の美本である。何年かに一度だけ誰かが借りる本ってちょっと素敵じゃないですか。長い冬眠から醒める数日、そうしてまた次を夢見ながら眠りにつくのですよ。 今日はしみじみと蔵書を見渡してきた。うんと上のほうには、そこそこ渋い個人全集もあったりして、へぇ〜である。参考図書にはいいものもあるが、当然あるべきものがなかったりもする。どうやら重厚長大ものの購入は最近は行われていないようだ。 地域の図書館の本は誰が購入の決定をするのだろう?図書館運営委員会とかあるのかしら?図書館の職員は主婦のパートが多いが、彼女たちがカウンターで本のカタログをマーカー片手に見ているのを目撃したことがある。でも、まさか<主婦の目>だけで選書しているのではあるまいね?司書さん(がいるのかどうかもしらない)の手腕に期待したいところだが、私の住む市は隣近所に比べて文化的には全く背伸びをしないところなので、どんなもんだかねえ・・・。その時々の流行でなく見識のある蔵書をじっくり育てることは未来に愧じない立派な文化行政だと思うけれど、未来よりは目先の一票かなあ・・・。 ま、今日のところは地元住民として感謝しておこう。
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