Emiの日記
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暗黒時代〜その7〜「コダンちゃん」→→→2005年02月17日(木)
コダンちゃんは本当にいつも笑顔を絶やさないコだった。

その彼女は、進路について真剣に悩んでいた。
高三の二学期終わりあたりだったかな。
学校の帰り道、一緒に話した。

彼女は看護婦になりたくて、看護専門の高校に行きたかったわけ。
でも、三者面談のときに、彼女のお母さんと先生で勝手に話が盛り上がり、「S」という私立高校はどうかという話がどんどん進んでしまったそうな。
「S」は母校I中学校から毎年一人は進学している学校でつながりがあるとかで、先生のほうも誰かしら「S」へ進学させたかったようだった。
白羽の矢がたったのが、たまたま彼女だったのだろうけど。

彼女のお母さんも看護婦で、大変だから子供には看護婦になってもらいたくないという思いもあったみたい。

そんなこんなで、彼女は「S」高校へ進学してしまいました。
「S」校の制服がイヤだイヤだと愚痴る彼女に会いましたが、そのころ私は中学とはまったく逆の「楽しい学校生活(恋はないけどね)」を送り始めていたので、やっぱり本人の望む学校へ進ませなかった周りは間違ってたと強く思った。
だって私だって、中学の先生に「しぶまく」は受かりませよ、と断言されましたもん。母が「落ちても学校に文句はいいません。本人の問題ですから」と言い返し、学校の意見は無視して受験しました。
おーい、受かりましたけどお??
ぶっちゃけ、学校の成績なんてあまりあてにならない。塾の偏差値でしょ。
特に私立は内申点がほぼ関係ないからね。

地元のスーパーの焼鳥屋でバイトしてるのをウチの母が何度かみかけたときも、昔とかわらない笑顔で接客し、ウチの母にも「おひさしぶりです〜」なんて元気に挨拶していたって聞いていた。ただ、みちがえるほどやせてしまったとらしいと聞いて、ちょっと心配だった。

その後彼女はバイトを辞め、道ばたでばったりウチの母と出会ったとき、ますます痩せていたそうだ。

そしてしばらくして、彼女が亡くなったことを知りました。
ウチの母が一度だけ、彼女のお母さんと話したのですが、「娘の好きなようにさせてやればよかった」と嘆いていたそうです。

ちなみに、私が彼女に最後にいった言葉は「急いでるから、じゃあね」です。
最低です。

こんなにはやく亡くなってしまうとは思ってなかった。
だって、まだ十代だったんだよ?


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