Mako Hakkinenn's Voice
by Mako Hakkinenn



 清水エスパルスの復活
2006年09月25日(月)

 サッカーJリーグの清水エスパルスは、元々静岡市としてはもっとも近いクラブチームだったので、僕もJリーグでは清水エスパルスを応援していたが、昨年静岡市と旧清水市が合併し、旧清水市が静岡市清水区となったことで、清水エスパルスは静岡市民の僕としても地元チームとなり、その愛着が増すこととなった。

 清水エスパルスは1993年のJリーグ創設時からの加盟チーム「オリジナル10」のひとつで、その初年度のファーストステージで4位、セカンドステージでは2位と最初から強さを見せ、2000年までに初年度を含んで2位3回、3位2回、そして99年にはセカンドステージで初優勝を飾るなど、強豪チームの一角として君臨していた。
 99年の年間チャンピオンシップは、ファーストステージで優勝した同じ静岡県のクラブチーム、ジュビロ磐田との静岡ダービーとなり、エスパルスはジュビロに破れてしまったため年間優勝はまだないものの、国内では2001年に天皇杯、1996年にリーグカップで1回ずつ優勝しており、さらに2001年、2002年にはスーパーカップを連覇しており、トーナメント戦で強さを発揮し、国際大会でも2000年にアジアカップウィナーズカップを制し、いくつかのタイトルを獲得している。

 しかし、チームは伝統的に延長戦に入ってからの勝ちが多いため、トーナメントでは好成績を収めながらも、リーグでは延長勝ちの勝ち点が2点に減点されたことや、さらに延長戦が廃止されてしまうと成績が下降し、2002年のセカンドステージ以降トップ10に食い込むことができなくなり、2ステージ制が廃止された昨年はJ1残留争いを強いられ、最終的に辛くもJ1に踏みとどまる15位でシーズンを終えるというチーム史上最悪の結果となってしまった。

 選手では、現日本代表の三都主アレサンドロが1997年に入団以降、持ち前のドリブルで左サイドのスペシャリストとして頭角を現し、99年のステージ優勝や、99〜2000年アジアカップウイナーズカップ、2001年天皇杯優勝にも貢献し、チーム全盛期の原動力となっていた。また、2002年の9月に、同年のFIFAワールドカップ日韓大会で韓国代表のスーパーサブ的な存在として、韓国を大会ベスト4に導く原動力となった安貞桓(アン・ジョンファン)を獲得した。
 しかし、それでも低迷から脱却することができないまま2004年に三都主、安貞桓を共に失い、2005年はチーム監督に元日本代表で清水エスパルスのOB、長谷川健太を起用してリフレッシュを図るも、前述のように15位という散々たる結果に終わった。

 清水エスパルスはこれまで、2002年までは監督契約を最低1年、長いものでは3年結んでいたが、チームが低迷した2003年から監督に就任した大木武を半年で行徳浩二に変え、翌2004年にはアントニーニョを監督に迎えるも成績は上がらず、その年に石崎信弘に変えるなど監督の入れ替わりが激しかった。
 しかし、エスパルスは今年、選手たちからの信頼が厚い長谷川健太監督を留任させ、長谷川エスパルスとして2年目を迎えると、昨年デビューした枝村匠馬、兵働昭弘、青山直晃ら若手選手が主力として定着し始め、昨年の天皇杯で準優勝の成績を収め、今年もルーキー藤本淳吾が主力として定着、またかつての日本代表森岡隆三、市川大祐、伊東輝悦らも復調を果たし開幕から上位につけるなど、長年の低迷期から脱却することに成功し強豪復活の気配を見せている。

 そして、シーズンも残りわずかとなった現時点で清水エスパルスは4位!久々の上位キープで、優勝争いにも絡む勢いを見せている。おそらく優勝する可能性は低いとはいえ、清水エスパルスが上位にいると、ここ数年はスポーツニュースでも優勝争いをしているチームの“当て馬”的な扱われ方しかしていなかったのが、気になるチームの試合結果の1つとして時間を割くようになったので、応援している僕としても思わず見入ってしまう。このままこの勢いを来シーズン以降も維持して、近いうちに年間チャンピオンを手にして欲しいものだ。

 残念なのは、静岡市出身の日本代表ゴールキーパー川口が、地元エスパルスではなく同じ静岡県のジュビロ磐田に移籍してしまったこと、そして昨シーズンを以てJリーグ開幕以来清水エスパルス一筋だった“ミスターエスパルス”こと澤登が引退してしまったことだ。



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