Mako Hakkinenn's Voice
by Mako Hakkinenn



 日航ジャンボ機墜落事故から20年
2005年08月15日(月)

 僕がこれまで生きてきた30年間の間で、特に印象的・衝撃的だったニュースを、30年にちなんで30件ピックアップするとしたら、個人的なニュースを除けば、以下の30件になるでしょう。

 ○大韓航空機撃墜(1981)
 ○ホテルニュージャパン火災(1982)
 ○アキノ大統領暗殺(1983)
 ○植村直己マッキンリー遭難(1984)
 ○日航ジャンボ機墜落(1985)
 ○沈没船タイタニック号発見(1985)
 ○チェルノブイリ原発事故(1986)
 ○スペースシャトル・チャレンジャー墜落(1986)
 ○昭和天皇崩御(1989)
 ○宮崎勤・連続幼女誘拐殺人事件(1989)
 ○ルーマニア革命・チャウシェスク政権崩壊(1989)
 ○東西ドイツ統一(1990)
 ○湾岸戦争勃発(1991)
 ○ソビエト連邦崩壊(1991)
 ○横綱・千代の富士引退(1992)
 ○オードリー・ヘップバーン死去(1993)
 ○中華航空機エアバス墜落炎上(1994)
 ○アイルトン・セナ事故死(1994)
 ○阪神淡路大震災(1995)
 ○オウム真理教・松本智津夫逮捕(1995)
 ○ダイアナ元皇太子妃事故死(1997)
 ○伊丹十三自殺(1997)
 ○淀川長治死去(1998)
 ○アメリカ同時多発テロ(2001)
 ○ミカ・ハッキネンF1引退(2001)
 ○ジャック・マイヨール自殺(2001)
 ○スペースシャトル・コロンビア墜落(2003)
 ○イラク戦争勃発(2003)
 ○いかりや長介死去(2004)
 ○クリストファー・リーヴ死去(2004)

 (年代順)

 その中でも、当時10歳だった僕が衝撃を受けた、特に印象的だったニュースは、やはり何と言っても1985年8月12日に起きた日航ジャンボ機墜落事故でした。今月12日で、もう20年になるんですね。20年というとキリのいい数字ではありますが、もちろん遺族の方々にとっては「節目」などないわけで、あの事故の事実や教訓は決して風化されるべきものではないと思っています。

 当時小学校や家族の間でも事故の話題で持ちきりだったのですが、クラスの誰かが学校に写真週刊誌「フライデー」(講談社)を持ってきていました。それには、事故現場で懸命に創作活動を続けている現地の消防隊員たちの姿を背景に、茂みの上に人間の腕だけが落ちているのをアップで撮影したモノクロ写真が掲載されていました。当時10歳だった僕はそれを見て、クラスメートたちとともに「うお〜!これ人間の腕じゃん!怖ええ〜ッ!」などと無邪気に言ってたりしましたが、今にして思えば、いくらスクープ写真だからと言って、売上部数を伸ばすためだけに、遺族の心情や犠牲者の思いを無視したショッキングな写真を見開きで掲載してしまっていいものだろうかと思ってしまいますね。まあ、欧米などでは人間が惨殺された写真や映像など、平気で掲載したり放送したりしているんですけどね。

 Barでも少し書きましたが、当時の日本航空は、墜落したボーイング123便のフライトレコーダーやボイスレコーダーの公開を頑なに拒否していたため、まだ事故原因がはっきりわかっていなかった頃は、亡くなった機長のご家族の元に嫌がらせ電話が殺到したそうです。しかし、事故原因が先に123便が起こしたしりもち事故の修理の際の欠陥であったことがわかり、さらに2001年になってようやくテレビでボイスレコーダーの内容が公開され、機長、操縦士、機関士のコックピットクルーが、コントロールの効かなくなった飛行機を最後まで諦めず懸命に立て直そうと試みていたことがわかり、遺族が報われることになりました。

 改めて考えてみると、この事故で亡くなった坂本九が残した歌は、「上を向いて歩こう」「見上げてごらん夜空の星を」と、どちらも辛い時や悲しい時に、前向きに生きていこうと歌った歌で、まるで残された家族に語りかけているような内容ですね。そしてその他の遺族の方々も、悲しみを乗り越え、新たな出会いを経て結婚・再婚したり、成長して就職したりと、皆前向きにそれぞれ新しい人生を歩んでいます。これからも幸せな人生を歩んで欲しいですね。



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