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■ 文明の中で病んでいく子供たち
2004年06月04日(金)
長崎県佐世保市の小学校で6年生の少女が首を切られ死亡した事件で、加害女児(11)は被害者によるインターネット掲示板の書き込みに、口頭ではなく掲示板上で「やめて」と求めていたことが警察の調べで分かったそうです。長崎県警佐世保署は、顔の見えないネット上でのやりとりが感情のもつれを増幅させたとみて、掲示板でのやりとりを詳しく調べている模様。同署の事情聴取に女児は、事件の数日前に複数回、被害者による書き込みがあり、これが事件の引き金になったと話をしているそうです。書き込みは女児の容姿についてや「自分の全体的な雰囲気、イメージを表すものだった」と述べました。女児は聴取に「(被害者に)ネット上でやめてほしいと求めたが、聞き入れてもらえなかった」と話していたようです。
子供って、結構残酷な生き物なんですよね。幼さからか、相手の気持ちを考える、相手の立場になって考えるということが欠如しているため、それほど罪悪感もなく陰険ないじめを平気でしてしまうものなんです。子供のいじめは、ある意味大人よりも残酷なことが多いですからね。みんなで無視したり、寄ってたかって暴力を振るったり、机を隠したり、上履きを隠したり……。大人の世界でも考えられないようなことが、子供の世界では平気で行われてしまっているのが現状なんですよ。
いじめた側はそのことをすぐに忘れてしまいがちですが、いじめられた側はいじめられたことをなかなか忘れることはできないでしょう。それが深い悲しみとなって自殺に発展するか、憎しみとなって復讐に転ずるかという両極端の最悪の事態に発展するケースも少なくはありません。そして後者の場合、その復讐方法は昔と比べると、年々残虐さがエスカレートしているというのも否めません。
なぜ殺人などの凶悪犯罪が低年齢化しているのか、現代の子供たちに何が起こっているのか。それは、インターネットや携帯メール、テレビゲームなどが急速に発達したことが大きな要因だと思っています。今の子供たちは昔のように外で遊ぶことが少なくなったと言われています。そしてゲームの中でバーチャルで敵を倒し、インターネットや携帯メールで、お互い顔を合わせることなくコミュニケーションを図ったりと、現実と非現実の判別ができにくくなっているのが大きな要因だと言えます。だから顔の見えない相手との文章だけのやりとりで誤解やすれ違いが生じ、テレビゲームの感覚で自分自身にとっての「敵」を簡単に殺してしまうという発想が生まれてしまうのです。また、現実と非現実の判別ができないからドラマや映画の影響を受けて、それを現実に実行しようという発想が生まれてしまうのです。
我々大人は、言うまでもなくテレビゲームと現実世界の区別はしっかりとつけることができますし、インターネットや携帯メールでの文字によるコミュニケーションでも、意味を判断し汲み取ることができます。しかし、現代の子供たちは、物心がついたときからそういった環境が揃っており、感受性の強い幼少期から現実と非現実の狭間で生活をしているのです。 時代とともに技術が進化していくことで、テレビゲームのクオリティも年々リアルになっていき、現実と非現実との違いが少なくなってきています。インターネットの世界も年々高速化し、様々な情報が世界中から簡単に入手でき閲覧できてしまうようになりました。そういった文明の進歩が、現代の子供たちに深刻な影響を及ぼしているのです。我々にとって、今やインターネットや携帯電話は生活の必需品としてなくてはならない存在になっていますが、今の子供たちのことを考えると、複雑な気持ちです。
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