サイパンで生まれ育ったという 親しいおじさんが居る。 戦争の最後には、壕の中に兄弟が集まり、 米兵に捕まるくらいなら玉砕の道を!と、 一番上の義兄が順番に、自分の幼い子供から 包丁で斬りつけていったという。 おじさんが13才頃の出来事だそうな。 『偶然生き残ったんやなぁ。 日本に引き上げて来てから、とりあえず 母親の実家を訪ねて行ったら “なんで戻って来た”って言われて…』 せまい壕の中で繰り広げられた惨劇は 13才の少年にはあまりにも衝撃が強すぎた。 ワケが解らなかったと思う…。 奈央と紀斗を連れて遊びに行くと あの時一番先に斬りつけられた幼い子供達と どうやらイメージが重なるらしく、 心から労るような切ない面持ちで、 限りなく優しく接して下さる。 お米のコトを“銀しゃり・銀メシ”と表現する。 60年以上も経つと 戦争は“歴史”扱いされてしまうけど、 違う! 社会課の授業で教科書をめくるのとはワケが違う。 今、目の前に生きているおじさんが、 現実に、戦争に巻き込まれて 生々しく悲しい過去を 忘れず、居るのだから。 少なくとも、サイパンで平和に暮らしていた 一般市民の、生き証人を 私は一人、知っている…。
|