シェイクスピアは比ゆめいた役をだすのが好きな気がします。 誰かが誰かの影。 もしくはなりたかったひと。 それによって、人のオモテとウラと嫉妬と憧憬をさらっとみせちゃったりしているような。
同じような立場年齢のライサンダ・デミ、おさな友達で仲良しなハーミア・ヘレナの対称は、互いに仲良しなのに、どこか心の中で相手へのライバル心もある。 妖精でいえば、小野さんパックと三上さん豆の花の、どこの主人様につきあってもわがままにふりまわされる同じような仕事。
そして、多分、なによりもそういう若いひとたちをへたような石飛さんオーベロンと倉本パックの、同じ位長く生きてきただろうに、 みてきたものが違う人生がいちばんひしひしとおしばいのおもしろさを感じた。
しみじみと、 そして皮肉めいて、 たったひとりでエピローグを語る倉本さんのパックは『夏』という人生の盛りの終わりをどこかで感じている寂寥感をカンジさせる。 たぶん永遠の王であるオーベロンにはないであろう客観性。 コイビトから、夫婦に。 そして、子孫を残し。 老いて、果ててゆく。 だから夏を生き生きと、悩み、怒り、恋し、笑い、踊り、歌い。 それをいとおしいとも思い、 それに踊らされるのを笑う妖精でもあるパックにみえました。 喜劇は笑っている間に、 うっかり自分の人生にはねかえるような気分もするよ。
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