「今、どこの美術展もすごいたくさん人が来ているわよ。 あたし最近バークなら大丈夫だと思って高をくくっていったら、ロッカーに荷物を入れられなかったんだから」 という友達の忠告を胸に花見とどこかの大学の入学式が武道館で行われているためにごったがえしている北の丸公園に行く。
ロッカーに荷物を預けて、手ぶらで絵をみるのが楽なので、勇んでいくと、やっぱり奥の方の、大荷物をいれるロッカーしか空いてなかった……。 すごいね、藤田が人気あるのか? せっかく九段下まできたんだから竹橋まで歩いて藤田でも見ようというひとが多いのか? どっちもか。
チラシを2月に貰ったときにやたら綺麗なカフェの女のひとの顔と、 子供たちのあまり表情のない姿がいっぱい集まった絵にひかれてチケットを買ってしまった。 「ふじた……、なんて読むの?」 「つぐはる」 名前読めなくて、まずチケットを買った段階で人にきいた苦いオトナの思い出がー。(笑) だって、だって、レオナール藤田っていう名前の方が有名じゃないっすか!(いいわけ) っていうか、嗣って佳嗣さんのツグ、じゃん。 これは読めるのに、どうして違う字と組み合わせになると読めない自分がいるのか?そこが可笑しいよ、我ながら。っていうか自分の教養のなさにがくぜん。
そんなわけで念願の藤田を拝見。 詳しくないので自分の本当に個人的な印象だけですごい間違っていたらごめんなさい。
日本生まれ→パリ→南米→日本(戦時中)→パリに帰化
エコールドパリの香りも華やか、ローリングトゥンティ時代の20年を経験して日本に帰って、何もかも茶色い色の戦争の時代。 美しい日本をさがす間もなく、いやな時代になった日本しかみられず、戦争に従軍して戦争絵を描き、戦後はその是非を問われ、パリに舞い戻り、帰化し、洗礼を受けて生き抜いた人という人生が絵にそのままでている。 たくさんの女性と浮名をながして、そのたびに普通に皆に臆面もなくみせているし、自分の感情の赴いたままの絵が素直なひとなんだと思う。 細い面相筆でいろどられた白い凹凸のない白い肌の絵は確実にあざとくオリエンタルな匂いがする感じだし、南米にいけば筋肉と表情をはっきりかいているし、戦争はテーマはともかく躍動的な人間がリアル。 そしてなにより日本を多分見放し、捨て、捨てられたあとパリにいったあとの目に見えないけど見える何かを冷静に、かつ描いていった、 どこにもいない夢の子供の像。 眠る女の周りをたくさんの猫がかこむどこにもない場所。 宗教に帰依して落ち着いたと発言はしているけど、キリストの死を描きながら、その死んだ聖人の周りの人々のなんて個人的でシリアスな感情を含んだ瞳でその場に踏みとどまっていないことをうかがわせる。 もっと生きていったら、きっとまた違う絵を描いていたんだろうかとふと考えるような途中の絵だった。 慣れた先をたどっていることは一回もなくて、 絵は真摯で丁寧でいつの時代かに荒れたということもなく、どれもこれもステキだったけど、出口にでたときに思うのはそんな舞い上がるような心の漂流だった。 その漂流の先がなんだったのか答えをつかんでない気がする。つかみたい気がするので、あたしはもう一回みていたいと思う。
備忘録: ・藤田は猫と戯れながら絵を描く 長毛種系ラブ ・藤田は女の人の肌とデコルテはこれでもかーと力を入れて描くけど、足に思い入れはないらしい ……偉そうにいろいろ言うても、印象に残ったのはこんなとこです。(笑)
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