WHITESTONE
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例えば同じ勉強をしていてもその対象が「好き」という人と「好きではない」という人では勉強の捗り具合も習熟度も前者の方が良い。
例えば同じ仕事をしていても然り。その仕事が好きなほど捗る。その仕事が「好きではない」人はいつまでたっても終わらない。
つまり何が言いたいかというと、一般に言う「ツライこと」勉強、仕事、家事、育児、近所付き合い等々・・・人間が心に支配されている部分がこれだけ大きいなら、心の持ちよう一つでそれを「楽しいこと」に転換することだって必ずできるハズ。
楽しいことをしている時って「幸せ」なハズである。
ってことはだ、仕事をし、家事をし、育児をし、勉強をして近所付き合いもこなして「あー最高です、幸せだー」って言うのも不可能なことではないハズだ。
英語を教えていてよく耳にするのは良い点をとっても100点でない限りは何かしらの文句を親から言われるという生徒の愚痴です。
99点取って「もったいない、あんたバカじゃないの?よく見直ししないからだよ!」って怒られたという話はよくあること。
きっと小さい頃だったら「すご〜い!○○ちゃん!天才!」って褒めちぎってたはずなんだよね。それで子供も鼻高々になってじゃあもっとすごいところを親に見せてやろう、そしてもっと褒めてもらおうって思うんだよね。
上手くやっても怒られるようなことを「好き」になるわけがない。 子供の教育、部下の教育、そんな甘いこと言ってられないとか言う「めんどくさいことはごめんだ」的な逃げ口上は損だ。多少は調子に乗って天狗になるくらいに褒めちぎってやった方が最終的な結果は良いと僕は思う。
何でもさ、楽しくやろう。 それが幸せへのショートカットだ。
というような事を自転車通勤しながら思いついて書こうと思っていたのだが仕事場着いたら「あれ?何書くつもりだったっけ?」ってなって3日ほど悩んだ。 最近よくあるパターン。 そしてこの話、ここで何度か書いてるような気もするんだが、自戒も込めて何度でも書く。
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