Rocking,
Reading, Screaming Bunny
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| 2008年08月05日(火) |
Life In Prison |
ソルジェニーツィンが昨日死去したことを知る。・・・ああ、死んじゃったのか、ソルジェニーツィン・・・って、えっ、ソルジェニーツィンって生きてたの?? 何しろロシア文学である。頭の中で漠然とドストエフスキーとソルジェニーツィンを同時代のイメージにしていたが。よく考えたらこの二人は生きていた時期がほぼ入れ違う。 調べてみたらソルジェニーツィンの生年はナボコフの19年後(1918年)で、私が唯一読んだナボコフの「ロリータ」が1955年発表、これまた私が唯一読んだソルジェニーツィンの「イワン・デニソーヴィチの一日」が1962年で、わずか7年しか違わない。しかし、印象的にはナボコフのほうがずっと「現代作家」のイメージであった。(のは、私だけか?)
ドストエフスキーは8冊読んでいるが、ソルジェニーツィンはまだ「イワン・デニソーヴィチの一日」一冊きりだ。そういえばこれはスターリン政権下の収容所での話だっけ。今ぱらぱらと読み返してみても、時代性や人間性という意味では、受ける印象は、ドストエフスキーの「死の家の記録」(1862年発表で、「イワン」のちょうど100年前)とあまり変わりない。「死の家の記録」も収容所(刑務所)での生活を描いたものだ。 ただし「イワン」の方は(14年前に読んだので細部の記憶がないが)、ある一日をただ詳細に述べながら、人間が日々の生活にいかに順応し、また周囲の他人というものにいかに寄り添って生きていくかを描いていて、イワン・デニソーヴィチという人物は時折まるで犬と変わらないほどの純粋さを見せたりする。 一方「死の家の記録」はひたすら記録であり、私はこれがドストエフスキー作品の中では一番読み辛かった。読んだのは17年前であり、当時自分が記した感想には、「余りに緻密な情景描写もさることながら、夥しい数の人物についての言及、またその性格描写たるや殆どが断定的な前置きである」「主人公(作者)は貴族であり且つ傍観者であった為に、完全にこの物語の枠外に自己を置いており、主人公不在のまま物語は進行してゆく。そこで読者は主人公の目を通してものを見るのであり、決して主人公の目をもってものを見ることが出来ない。故に徹底的なリアリズムが展開することになる。そこには物語性の片鱗もない」などと書いている。 ・・・当時私は、年間100〜120冊(最高150冊)読んでいたが、読了した本の殆どにいちいちこういう感想をワープロで記していたのだ。(上の抜粋は一冊の感想のほんの一部だ) 今のようにネット上に発表する機会もなかったのに。たいした情熱だなあ。
Life In Prison (収容所での生活) *Byrds の曲。(1968)
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