Rocking,
Reading, Screaming Bunny
Far more shocking than anything I ever knew. How about you?
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*名前のイニシャル2文字=♂、1文字=♀。
*(vo)=ボーカル、(g)=ギター、(b)=ベース、(drs)=ドラム、(key)=キーボード。
*この日記は嘘は書きませんが、書けないことは山ほどあります。
*文中の英文和訳=全てScreaming Bunny訳。(日記タイトルは日記内容に合わせて訳しています)
*皆さま、ワタクシはScreaming Bunnyを廃業します。
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2005年06月29日(水) |
Music seems to help the pain |
帰宅したのは朝5時過ぎ。7時にはRonnyが車で来る。9時に家を出る。今日は茨城の元ダンナのお見舞いに行くのだ。山のようなCD・レコード・DVDを届けに行く。
車の助手席に乗るのは大好き。今日はRonnyの車に乗って遠出だから、もうドライヴ気分でわくわくしていた。Ronnyがコーヒー、パン、クッキーなどをたっぷり買っておいてくれたのを見て大喜び。しまった、CD持ってくるの忘れたわ!と思った瞬間、山のように持っていたことに気づいて笑う。 とりあえずはRonnyのCDでツェッペリンを聴く。霧雨であいにくの天気の筈だが。しっとりとした空気と薄いグレーの色彩が、私の興奮を軽く抑える感じで心地良い。 会うのがちょうど10日ぶり。こんなに離れていたのは2月下旬以来二度目。あの時は、一度別れたつもりでいた。今回も同じようなもの。どちらもつまりは、彼のお休みをたった一回会わずに過ごしただけなんだけれど。 手を伸ばして抱き寄せたい、と軽く思いながらずっとそれをしない。あちらも同じ気配だ。 別に今すぐ抱きしめてもいいんだ。今は何のこだわりもなく好きだから。だけど何となく、まだ距離を縮めない。
13時半に到着。Ronnyはそのまま近所のファミレスで待っていてくれることに。 大量のCD・レコード・DVDを運び込む。その数およそ800枚。直接CROSS ROADなどに持ってきてくれたもの、都内・大阪・那覇から小包で届いたもの。中でも浜松からのCDがすごかった。ダンボール3箱ぶん。届いた時、一体送料がいくらかかったのか宅配業者に訊ね、金額を聞いて更に頭が下がった。送ってくださったのは、かつてSad Cafeに一度だけ来たことのあるお客さまで、私のbbsの「救援物資募集」の書込みを見て送ってくださったのだ。 ストーンズのジッパー付のSticky Fingersのレコードといったレアものから、心を込めて焼いてくれたCD-Rまで、色々なものがぎっしり。どれも趣味の良いラインナップで、私が欲しいくらい。 これらを着くなりまずは元ダンナに説明。全部誰からなのかを言い、その人の説明もする。メモを取りつつ聞く元ダンナ。顔が喜びでぽかんとしている。
18日のRonny & Bunnyのライヴ音源も聴かせた。私のオリジナルには、「すごいね、まるっきり洋楽だ。邦楽の要素がまるでない」とのコメント。
初めて体のことをじっくり聞いてみた。 まとめると。長年の過度の飲酒からアルコール性肝硬変になり、肝機能が低下した為、腸内で発生したアンモニアが解毒されないまま心臓に入って全身を循環し、結果脳を侵して肝性脳症になったらしい。 記憶を失くしたりイライラしたり、腸の機能が低下したり、腹水が7Kgたまったこともあるという。果ては両膝から下の感覚がなくなり、歩けなくなった。 ところが。先月担当医が変ったら、歩くコツをおしえてくれたんだそうだ。まずは筋トレを充分にさせておいた後で、「膝から下はないものと思って」歩くよう指示したらしい。義足の人と同じ考え方で、その通りしてみたら、少し歩けるようになったんだという。実際歩いてみせていた。 しかしかなり厳しい食事制限をしているようで、お酒は勿論のこと、肉・魚・動物性の油も一切禁止らしい。これを言った時の元ダンナは、笑いながら泣き出しそうだった。飲み食いするのが大好きな人だったから、一緒にいる頃は彼に美味しいものをあげるのが楽しくて、買って帰ったり、料理したり、食べに行ったりした。お金も惜しまずに使った。
正直、来た当初から、いるのが気詰まりな部分があった。元ダンナが私が来たことを本当に喜んでいて、意識がこちらに集中しているのを感じたので、そのことにうろたえてしまったらしい。最初はこれでは数分と持たないように感じたが。 CD類の説明をし、体のことを訊き、話をするうちに、予定していた2時間が経過していた。Ronnyに迎えに来てもらう。
帰りの車中で、いつもより早口になっている自分に気づく。元ダンナといる間中、弾丸のような早口で喋っていたのだ。彼といた頃の私、短気でせっかちな私が甦っていた。いづらさは罪悪感の裏返しで、そのことを払拭したくて喋っていた。その余波がまだ残っている。 Ronnyと話しながら、徐々にそれを元に戻していく。
帰る途中、たまたま眼に入った葛西臨海公園の観覧車に乗る。眼につくわけで、後から知ったが高さ117mで日本最大級らしい。 高所が苦手な筈の二人が、先月何となく観覧車に乗ったのだ。それに続いて今日が二度目。あの日と同じでお天気がよくない。そのせいか乗っている人が殆どいない。 密室が地面を離れるや否や抱き合った。それまで殆ど触れてもいなかった。ずっとこうしたかったと言われる。私もそう。 15分かけて一周する。薄曇りなので景色はよく見えない。切り離された気分で宙に浮いている。二人きりで。
Ronnyの地元の大和市へ20時前に着く。彼の車を置いて、電車で下北沢へ。ヘヴンズ・ドアというロック・バーへGeoffのライヴを観に行く。 Geoffはベーシストだがギターもやる。N.Y.でサミー・ヤッファ(元ハノイ・ロックス)とセッションしたこともあり、一昨年に私が知り合った頃は名の知れた日本のプロ・ミュージシャンとバンドをしていた。今はMissing Sceneというバンドを組んでいて、今日初めてそれを観に来たのだ。3人構成で、彼(アコギ)以外にカナダ人(vo)と日本人(エレキ)。 Geoffの安定したストロークから生まれる安定した音、構成のしっかりした曲、安心して聴ける歌とハーモニー。さすが、さらっとクオリティが高い。あえて難を言えば、性格の良さがまるわかりというか、謙虚過ぎる。せっかくいいものをつくっているのだから、少なくともボーカルはもっと押し出しを強くしないと。(後日Geoff自身が全く同じことを、「それが僕らの課題だ」と語った)
0時過ぎの電車でRonnyと荻窪へ帰る。長くて楽しい一日だったが、ようやく二人きりになれる。
Music seems to help the pain (音楽が苦痛をやわらげる) * Take Up Thy Stethoscope And Walk(聴診器を取り上げて、歩け)/ Pink Floyd (1967) の歌詞。
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