遠くにみえるあの花火に
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2004年08月17日(火) あたたかな光/物事を前向きに考えるということ

きのう、
送り火を、マンションの屋上から眺めた。
「法」という字を形作る火の、ひとつひとつが、
ちゃんとくっきり見えるくらいに近くで。

皆、思い思いにビールやらチューハイやらを入れたグラスを片手にもって、
おお、とか、なかなかいいもんだねぇ、などと言いながら見る。

送り火だから、お盆の間にこの世に帰ってきていたご先祖様を、
またあの世まで、無事に送り届けるための「儀式」なわけだけれど、
そういうのは「しみったれている」と思っていた若者の心をも、
「いいねえ」と思わせる素敵な眺めだった。

反対に、送り火を背にして街の中心部を眺めると、
あちこちから焚かれるフラッシュの光が、ぴかりぴかりと白く光っていた。

送り火のあたたかいオレンジ色とは対照的に、人工的な白い光。
でもそれさえも、物珍しく、何か神秘的な光景に映る夜だった。





そしてそんな夜の中で、こんな風に思う。
人それぞれには、コンプレックスというものがあり、
何もかもに自信のある人などいないんだなぁ、と。

自信がなくても、堂々として見える人というのは、
自分の中のいい部分を磨き、他者との比較をできるだけ避けている、
ということなのだろうなと思う。

ものの見方の問題だろうか?
悲観的にならずに、前を向いていたいと思う。

自分自身に対しても、周囲の人に対しても、
美点、というものがちゃんとあって、
それぞれに「人」としてかわいらしく、
「人」としてあたたかい存在であることを、認められたらなぁと思う。

冷たく言い放つ言葉よりも、暖かく包む言葉を多く用いて。

そうできたら、何よりもすばらしいと思う。
「私なんて」「僕なんて」と思っている人に、
そうではないんだということ、そう思う必要なんてないんだということを、
どこかから耳元でささやく声になりたいと思う。

全ての人が万能で善人であるはずなどないのだから、
悲観的になる必要なんてないし、
落ち込んだり、迷ったり、自分はだめな奴だなぁと思っても、
またぐっと前を向きなおして、それでも大丈夫と思って欲しい。

性格のやさしい人ほど、悲観的になりやすい。
でもそれでは、宝のもちぐされだと、そう思う。





結局、昨夜も12時をまわってから帰途に着いた。
私の夏バテはまだまだ続きそうだ。
明日もまた、飲みに行く約束をしている。

とりあえず、今夜はゆっくり眠ろう。
本当は、オリンピックをもっとゆっくり見たいのだけれど。



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ああ、もう、夕方です。
外は雨。
秋がひたひたと、微かに近づいています。

ゴザンスでの800字小説、第1稿を書き上げました。
もう少し推敲して、それから投稿です。

ひとつは書いてみたものの、まだまだだなあと思う。
あともうひとつくらい、テンションの異なる作品を書きたい。
テンションの、高めのやつ。

私の書く物語って、テンション低いよなぁ。。。。。






過去に投稿したものは、ここで読めます。
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