時計の音がする。
目を開けてみれば、真っ暗な部屋。 何度か、瞬きをしてみる。 ひとつ。ふたつ。 瞼を閉じては、開くたびに少しずつ闇に慣れてくる。 壁にあるポスターの白い枠だけが闇の中に浮かんでる。 見慣れない天井の木目。記憶のない、インテリアの配置。 消えたライトの向こう、窓から寄せる街灯の明かり。 閉められたカーテンは確かブルー。
ああそうか。 僕の部屋じゃない。
肌に感じるシーツの感触に頬を寄せる。 少し固めのベッドのスプリング。押し当てると少し乾いた汗の香りがして、何故か溜息をつきたくなる。 身体から滲むのは確かな疲労感。なのになぜか頭の中だけぽっかりと冴えている。 暗闇に触れる秒針が薄い蛍光色を発していた。 もうすぐ3時。 夜のおわり。 肩に触れる髪を払うと、さらりとした感触が指に残る。 ああ、そう…。 少し前に夢の中で手塚が何度か拭いてくれていた。 少し温めのタオルの熱。時々掠める指先のほうが熱かった… 名前を呼ぶ声がどこかで聞こえたけど、そんなこと。 答えられない。聞こえない。意地をはって目を閉じたままだった。
途切れた記憶の中。 そんな他愛のないことばかりが記憶の中に残っている。 疲れているはずなのに。 ああもう、この時計の音だけが嫌になるくらい耳につく。 過敏になった神経にイヤに触ると思った。 苛立ちが生まれそうになった時…。 秒針の音が不意にかき消される。 あ。 雨だ。 ぱらぱら、零れる水音。 屋根を優しく叩く水玉の音が、時計の音にふんわり重なる。 きちんと掛けられた布団からそっと身を起こして、窓から空を覗く。 ほんの少しカーテンの隙間から、ほんの少しだけ。 瞬間、目の前に大きな雨粒がひとつ、屋根の端をささやかに叩いて、ぽつんと落ちてきた。 窓ガラスに擦り寄って、垂れていくひとすじの雨。 規則なく零れ落ちる夜の雨音。 庭に綺麗に植えられた、ぎぼうしの葉がぱたぱたと雨を弾く。 傘が雨を弾く音にちょっと似ている。
カーテンを離し、冷えた肩に触れる。 そのままもう一度静かに、そっと起こさないように、そっと、ぬくもりの中に身体を戻す。 少しだけ冷えてしまった掌が触れたら、触れた肩口がかすかに揺れた。 慣れた夜の闇。一瞬、うつる穏やかな寝顔。 目を閉じて、その閉じた綺麗な瞼にそっと唇で触れる。 ああ、やわらかく暖かいね。 何度か啄ばむと、そっと肩に触れてみる。この暖かさを失わないように。 温もりが逃げないよう、そっとブランケットをかける。 この熱がほんの少しでも君の中に残るといい。 静かに、そっと肌を寄せる。 そっと無防備に預けられた、なだらかな胸に耳を寄せる。 こうしてすべて諦めて離して寄せ合えば分かち合うものは無限のように思える。 静かな夜。 ああ。 規則正しい音。 君の生きる鼓動。その音色。 折り重なるように、熱も音も、この闇も。 もうすぐ明ける空も捨てて、こうしていよう。 少しの時間だけでも幸せであるように。
もう雨の音も聞こえない。 君の音だけ。
目を閉じて… このままおちていこう。 ふたりきり…こうして。
あいしてる。
胸の中だけで。 そっと…
end.
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