わたしの母親は、昨年春の3ヶ月の入院中、2度、導尿の中止に失敗した。 したがって、現在もバルーンカテーテル装着の状態のままである。 われわれ「健常?」なものは、わりあい排尿に関しては我慢できたりするけれど、彼女の場合、カテーテルを取り外してしまうと、自力で小便ができない。 退院前に、看護士さんから「膀胱洗浄」をみっちり教えてもらい、ヒトの膀胱というものが、いかに清潔な臓器であるのか、ということを思い知った。 いまでも、毎日の排尿量と尿の状態を観察することが、わたしの大事な日課で、こと彼女の尿に関しては詳しい。尿の色だけで、だいたいその日の体調の想像がつくようになった。
これと異なり、大便に関しては、彼女自身きわめて明瞭に「排泄」のアピールをする。ことによったら、「オマル」での排便もできるんじゃないか、と思い、来るべきその日のために、足腰だけは衰弱させない努力はしなければならない、などと、私らしからぬ「努力目標」を設定したりもする。
「人間は管だ」というはなしもあるが、膀胱を圧迫する筋力や腸の蠕動を促すメカニズムが、どんな具合に脳神経と接合しているのだろうか、と、便所に座りながら考えることがある。中学校で教わった限りでは、内臓の運動は不随意に行われ、腹筋その他の随意筋とは異なる、だったと思うが、生まれてこのかた培われた「社会的な生き方」が、彼女の排尿困難を帰結してしまったのだろうか。脳だけで生きていない「けだもの」としての疑問である。
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