遠雷

bluelotus【MAIL

14日以前までのこと
2007年06月14日(木)

相変わらず、時間が空いてしまっているのに覗いて下さるみなさん、ありがとうございます。
何度か書こうと思っていたのですが、上手くまとまらないままに、今年もまた命日が来てしまいました。
15日に書いていますが、14日付けてこれを書きます。

前回の日記に書いたできごとのあと、もちろんそのままではありませんでしたが、相対的に楽にはなっていたと思います。でも、苦しみは少なくなったとしても、彼が幸せなのだとしても、私のそばに存在しないという喪失感が無くなるわけではないのです。たとえ生きていたとしても、ひどい失恋をして別れた人を何年も忘れられないというのは珍しいことではないですよね? 会いたくても会えない人に会えないことはとても辛いことです。その辛さは彼の状態や、彼に対する私の罪悪感とは全く別なのであって、あくまで自分が寂しいだけなのですから、生きていようと死んでいようと関係ないのです。そして、どんなに今迄のような病的な罪悪感が消えたとしても、罪悪感そのものは消えないでしょう。たとえ以前書いたような形でどんなに自分の中で彼の死を浄化できたとしても。

あれをしてはいけないなど、自分で決めたルールがいくつかあります。単純に辛くて行えないことから、自主的に禁じたことまでいろいろと。それを少しずつ崩してみつつあることは、前進したことになるのでしょう(髪を切ってもいいなと思ったこととか、行かなかった店に行くとか)。少し前の自分であれば、そんなことは彼に対する冒涜だ、罪を償って生き続けなければいけないのに怠慢だなどと思っていたところでしょうが、私がそれらを行うことが果たして彼の今後にどういう効果があるのだ?と。悼むことや罪悪感をもつこと以外に、自分以外には意味のないような縛りを自らに課して、それが償いになるのかと。

素直に「もういいのかな」と思えもし、「ただ楽になりたいだけなんだろう」と自虐的になりもします。ルールは、狂いきれなかった私が少しでも自分を狂っている状況にとどめようとした手段なのですから、それをやめようということは、もはや私には狂ってしまいたいという意識がなくなったことです。そして、「もういいのかな」とおおむねのところ思えるようになったのをハッキリと意識したのは、「成仏している」ということからでした。前のようには涙もでないことに気がついていましたし、息苦しくなることも殆どありませんから、わかってはいたのです。認めたくなかっただけで。

結局「時が解決」してるじゃないかと言ってしまえばそれまでです。でも未だにそのことばで慰められはしません。「たった」と取るか、「やっと」と取るか。この時間の中で私がこのように変化したことは理解します。慣れたということかもしれません。鈍くなったのかもしれないし、単に忘れかけているのかもしれないけれど、3年と言う時間が存在しているというだけで変化したわけでもないし、辛いことも寂しいことも少なくなっただけで「解決」なんてしていません。言葉のあや、屁理屈かもしれませんけれど。気持ちに「解決」なんてないと思います。



と、相変わらずぐだぐだと長い文章ですが、要は
「たとえ成仏してたとしても、会えなくて寂しい」
「成仏してるなら、まあ、少し楽になった」
それだけなんですけれどね。

「会いたい。いなくてさみしい」
結局これだって、いない人を美化して疑似恋愛しているだけかもしれませんが。

15日に続きます。



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