遠雷

bluelotus【MAIL

甘酒回数
2006年12月18日(月)

12月は、Hと出会った月です。12月だけは、お墓ではなく付き合うきっかけになった場所に行く事にしています。今年もまた、行って来ました。

いつものコースを終え、締めくくりに近くの店で必ず甘酒を飲みます。ショウガの粉末をかけて。今年はたくさんかけすぎてしまい、ちょっと辛いくらいでしたけれど、その分、暖まりました。人が、たくさんいる日だったのでゆっくりとHとの会話を思い出すこともなく、落ち着かずにすぐ腰をあげてしまったのが残念です。

今年も来たよと、その場所に着いたときに思いました。そしてもう、ここに来るのが3回目になってしまったから、「今年も」なのだということに改めて気がつきました。

出かける前母親に、いつまで続けるつもりなのかと言われました。なんとなく月命日にお参りに行くということを口にすることは、お互い避けているような雰囲気があるのですが、この日に限り、父親とけんかをしてしまい、そのときに結婚する気がない、できないというようなことを口にしてしまったことから、母親のこの言葉となりました。もう毎月行く事はないのではないか、少しずつ回数を減らして行ったらどうかと。

もう、というのは、いつからなのでしょうか。3回も甘酒を飲んでいることは、もう、なのでしょうか。

今でこそ毎月行けているけれど、仕事の都合などでいつまでも続けられるものではないということは考えています。もしかしたらきっかけがつかめないだけで、惰性で続けているのだろうかと思うこともあります。髪の毛だって、どこまで伸ばし続けたら良いのかわからなくなっているように。大雨の日など、出かけるのがおっくうな日だってありますし、現に一度家を出たのにあまりの大雨に途中でやめて、後日にしたこともあります。毎月行く事が償いなのかどうかもわからなくなってしまうこともあります(本当の償いはそんなことではないというのは、勿論わかっています)。でも、ただでさえ失われて行くHとの繋がりが、毎月行かなくなってしまったら本当にすべて無くなってしまうような気がして、やめられないのです。そして単純に寂しいだけなのかもしれません。

もういいのだと心から思えることができない限り、通い続けるでしょう。Hのことだけではなくて、自分のためにも。曖昧なままで終えたら、私は永遠にHを殺してしまった自分から何一つ変わらないままなのだろうと、思えるからなのです。

半年、一年で整理のつく人もいるでしょう。2年もいい区切りなのかもしれません。私は、2年半では足りなかった、それだけです。この先何年かかるかなんて、わからないだけです。3年かもしれないし、10年、一生かもしれない。わかるようなら苦労しない、それだけです。



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