遠雷

bluelotus【MAIL

同じというものはない
2006年11月26日(日)

仕事の関係で仲良くなった知り合いと、ストレスについて話していました。私と同じく喉に来るらしく、仕事で現在そうなりつつある話をしていたのですが、以前にも今と同じような状態になったときという内容が、元彼が無くなったとき、ということでした。

なんでも、少し遺産を残してくれていたり、今の彼女からわざわざ連絡を貰えるように彼が手配してあったいうことや、なにより付き合っていたときの愛情やその後の関係など、わたしが知っているわけもありません。もちろん辛いことも悲しいこともわかります。でも、その彼は病気だったのです。そして、現在付き合っていたわけでもないのです。そんなくらい(大変失礼な表現とはわかっています)で声が出なくなっても、もっともっと辛いことがあると思ってしまった私は許されないでしょうか。目の前で死なれてしまった、自分の手で断ち切ってしまった、その悶えるような苦しみは彼女には無い、その考えがどうしても離れませんでした。

以前、別の会話のときにちらっと元彼が死んでしまった時は一番苦しかったと言う話を聞いたことがあったのです。携帯メールだったので、それ以上こちらからもその話題を突っ込みはしなかったのですが、そのとき、この人になら話せるかもしれない、わかってもらえるかもしれない、と必要以上に期待をしてしまっていたことが、今回のような感情を呼んでしまったのかもしれません。自死とは思わなかったけれど、どこかでわたしと重なる部分がたくさんあるのだろうと、勝手に色々考えてしまっていました。ひとつとして同じ苦しみはないなんて、よくわかっていたはずなのに。辛さの量なんて、もしかしたら自分以上だったのかもしれないなんてことも、私にはかることなんてできないとも、知っているはずなのに。

彼女には私のことを話すことはこの先もないでしょう。きっと同情してくれるでしょうし、そのことはよくわかっているのですが、「自分と同じくらいに辛いのだろう」と思われるかもしれない、そのことがきっと私には耐えられないでしょうから。そんなことで別に何も悪くない彼女に対して嫌な感情をわざわざ抱くことなんて意味がないですし。

誰に話したから、慰められたからといって生活が一変するほど立ち直れるものでもないくらい、あれから長い時間が経ってしまいました。それでも、似たような立場の人(きっとパートナーに自死されたと限定せざるを得ないでしょう)と何か話せたら、見えなかった何かのヒントが見つけられるような気になってしまうのは、きっとずっと変わらないような予感がします。何かが何なのかはわかりませんけれど、きっと、何かが。

一方では話すことが怖くなってしまってもいます。私より悲惨な立場の人に同情して、それよりはマシだと思ってしまうかもしれないことも、私の方が辛いと変な優越感を持ってしまうことも、すべてその気持ちが醜いものとなってもしまいそうで。よくも悪くも比較してしまうということは、人間の感情として自然なのではあるでしょうけれど、それに気がついてしまうということも、辛いものなのですね。



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