草原の満ち潮、豊穣の荒野
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58 Dead Souls〜Will sea come?


青く深い水の底。
ゆらゆらと長い海藻が空に向かって伸びている。


愛しています。
愛しています。

いつか見た夢。
果てしない道の先。

何処か希望の新天地へ。
何処か希望の新天地へ。

新しい世界に辿り着き。
新しい世界で生きる。






深い深い海の底。
その青を映す火はまぼろし。
暗闇の中、僅かに発光生物が朽ち果てた白骨を浮き上がらせる。
暗黒の水底。朽ち果てた生。身動きもしない
『モンスター』の大量の欠片。



愛しています。
地上へ連れて行って。

転がった白骨のひとつが唄った。人々の希望を。
叶う事しか信じもしなければ考えもしなかった。
その歌は感情も意識も既になく
水死人の口から出て行く最後の空気のように
こぽこぽと寂しい響きを水の底へ撒き散らしているばかり。

海は殺し。生み出し。滅ぼす。
繰り返される出来事の小さなひとつにすぎない。


もうひとつの白骨はずっと考え続けていた。
斬り落とされた頭部にかつての白銀の髪はない。
『彼』は骨の傍に座ってずっと歌を思い出し続けていた。
人々の声を思い出していた。暗いどん底の闇で。

何故私はここにいるのだろう?
何故誰の姿もなく、視界すら空けない水の底に留まっているのだろう。
此処は望んだ場所じゃない。
生まれた海の底だ。深く暗く絶望に満ちた暗黒。
希望の果ては地獄図だった....


誰も地上へは行かなかった。
全員死んだのだ。

アイシテイマス...アイシテイマ....


怪物は希望を頭から喰い潰した。
祈りを打ち砕き、愛情を憎悪へ、信頼を罵倒へ変え尽くした。
誰もが神を呪って死んだ。
慈愛と命に満ちた海流の女神は振り向きもせず行ってしまった。
いや、定めた事に抗ったから打ち倒したのだ。
海のものは海でしか生きられない。
淘汰によって強いものだけが進み生きて行く....


...アイ...テ...ス....


暗闇の中の歌声は呪詛のように響き続ける。
生きのびた者達は何処か遠くでこの墓場の事も
忘れ去って進んで行く。
残されたものたちは誰一人、何処へも行けぬまま。



『彼』は立ち上がり、ない手で転がった歌い手の髑髏を撫でると呟いた。

「....希望は捨てない....」


『彼』は漂う微生物に乗って暗闇を進み始めた。
集められた人々は既に朽ち果て白骨さえ砕けかけている。
どのくらい時間が経ったのだろう。

地上へ行かなければ。
遥かな地上へ。
修復する術が欲しい。探さなければ。見つけなければ。
『希望』を。
絶えた祈りの声を呼び戻して海よりも強固な王国を作るのだ。

『彼』の乗った微生物は吸い込まれるように魚に喰われて果てた。
『彼』は魚に乗って水底を少しずつ少しずつ上がっていった。
魚はもっと大きな魚に喰われ、繰り返しながら彼も魂を喰っていった。
やがてそれは海棲生物になり、海人や人魚を喰った。

やがて。

ある人魚が仕えている海人を突然殴り殺して喰った。
高位の彼女は密かに何人もそうやってむさぼり喰い、同族に処刑された。
流された血は様々な生物に取り付き『彼』はそうやって
『修復』を始めた。


形のなかった『彼』は少しずつ魂を蓄え元の姿に戻って行った。
黒髪の上司に斬り落とされた頭部も魂の姿として再生した。
ただし、かつての『彼』を知る者にとってその姿は面影すらなかった。
白銀の長い髪は白鑞のようにぼんやりと漂い、青く透明だった瞳は
怨恨と絶望に満ちた深い海の青。
呪いを振りまきながら『彼』は地上へ夢を抱き続けた。
あらゆる海の生き物に因子を刻みつけ、それは狂った遺伝子となって
妖魔や奇形を産み出した。

異形、突然の変異、人喰らい.....


かつての歌はもう二度と『彼』の耳に戻る事はない。
白銀の新天地を夢見た若者は長い年月を超え
近づいて行く地上を凝視し続けていた。

....誰かがひとり、辿り着きさえすれば.....
ただひとりでもいい。それさえ叶ったならば皆が後に続いて行ける...










「エウジェニア...お前を愛している」


『彼』はある人魚の娘と駆け落ちした青い獣人の傍に存在した。
人魚は逃げたが『術』はある。
己自身を殺す事で人魚を逃がした獣人の屍を見下ろしながら
『彼』は笑った。
そして『彼』は笑いながら何処かへ姿を消していった。
いくつかの『種』のどれかが必ず地上への夢の芽を吹き
花を咲かせるだろう。


その時までもう少しだけ待つのだ。
海流神など存在しない。
海の者など修復の材料でしかない。


『彼』は明るい青の水底で遥か空にある明るい場所を凝視した。
暗闇の青はぞっとする程冷たい色を浮かべ
古い童謡をぶつぶつと呟き続けていた。






むかしむかし、南の浜に..........