草原の満ち潮、豊穣の荒野
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57 Goddess

初夏の朝。

ブルーは珍しくルーと朝食をとっていた。
相変わらずすっぽりとフードを被り、射し込む日光を罵りながら。

「お前暑苦しいんだよ。もうすぐ『新緑祭』のシーズンだってのに」

酒場の店主はルーにパンを取ってやると
壁のポスターを指差した。


「はん、酒飲んで馬鹿騒ぎなら毎晩やってる」

「甘いな、若造。新緑祭の目玉が何か知ってるか?」

「どうせここの名産だとかで馬自慢でもすんだろ。
オレは馬なんか嫌いだ」

「神馬に何が乗ると思ってんだ、愚か者」

「どっかのうざってえ馬鹿神官共じゃねえのか」



ブルーは気のない返事とは裏腹にルーのスプーンを持ち直させ
真面目な顔で言った。

「女ひっかける年になってから直すのは難しいんだ。
こういう事は言う事きいとけ、サルジャリ」

「...お前いらん事しか教えん奴だな。
本気で親権相談するぞ」

「あ、そりゃ願ってもない。今すぐやる」

「ルー、ああいう大人になったら一生苦労するから気をつけろ」

「そういう奴を店員にしてる親父はどこのどいつだ」

「どこの馬の骨かわからん奴を働かせて面倒見てる、と言え。
慣れた途端に口のききかたまで変わっっちまって全く...」

「ま、その通りだね。口はもともとこっちが地だよ」


ブルーはあっさり認めて使った食器を片付け始めた。

「えらく素直だな。気色悪い」

「言いやがる。で、馬がなんだっけ?」

「ああ、そうだ。そのポスターをよく見ろ。
街一番の美女を募って新緑の女神を決めるんだよ。
その年一番の名馬に乗って『女神』が街中をパレードする。
勿論、女神には何人もの侍女、美女ばっか揃の選り抜きだ」

「へえ、いつだ?それ」

「二週間後だったかな。それまでに美女があちこちで我こそは、って
競い合ういい季節だ」

「そりゃ残念だ」

「あ?」

「ああ、いや、なんでもない。
それよりルーをそろそろ神殿に送ってく時間だ」

「お前も行くのか?」

店主がいぶかしげにブルーを見た。
いつもなら呼ばれても神殿なんか行くか、と喚き散らしている男だ。

「ああ、宗旨替えだ。さあ、ルー、行くぞ」

ブルーに手を引かれてルーが店主にぶんぶんと手を振る。
満面の笑顔。ブルーはフードをしっかり被り直し顔が見えない。

「気をつけてな。父ちゃんが途中で妙な女ひっかけないよう見てるんだぞ」

「...妙な女ならもう引っかかってるよ」

ブルーが肩を落とす。
デライラは朝早く何処かへ姿を消していた。いくつかの取引を終え
あとはルーの事だけだ。
このままルーを置いて消える事も考えたが、腹が立って仕方がない。
あのクソ司祭が余計な節介をするってんだ。
じゃあ乗ってやろうじゃねえか、そんな事を考えながらブルーは神殿へ向かった。
ルーの事はよくわからない。手にも負えない。
かと言ってガキが大人のいいようにされるのはムカつく。
こんなアホガキ放り出して行けば自分の昔どころじゃない。
酒場の店主に街の『然るべき機関』たる神殿様が保護してくれるってんなら
頼んでくさ。

ルーがブルーの顔を見上げた。
笑顔のまま何を考えているかわからない表情で。

「悪いな。オレはてめえの事で精一杯なんだ。
頼む相手があのクソうぜえ神殿なのは気にいらねえが、オレみたいな事.....」

「ブルー?」


ルーが一番頻繁に使う言葉を口にした。
見上げたブルーが固まっている。
神殿に近い街角。すれ違う街の人間。
山の中腹にある神殿へ続く坂道を駆け上がって行く子供達。


「あーもう!走りにくいったらないっ!」

固まったブルーと手を繋いだルーの傍
薄い桜色のドレスを着た娘が大股で走り抜けていく。
長い銀の髪が桜色の薄布を鮮やかに彩りながら
ブルー達が歩いて来た方向へと。

「こらー!!イザック!!もっと女らしく走りなさい!!」

後を追いかけて腕に包帯を巻いた女が走って来る。

「こっちもバイトで忙しいんだから、代役に文句があるならよそ当たってよ」

「ドレスのサイズがあんたしか合わないって言ってんでしょうがーっ!!」

「あーら、そうだったかしら」

銀髪の小柄な娘は桜色のドレスを翻して振り返った。

「あ...いやん」

ブルーとルーに注目されている事に気付いた娘は取り繕うように微笑むと
投げキッスをして走り去った。

「おふざけじゃないよ!!女神がそんな事するかー!!」

やや年上の女がブルーの傍をやや控えめに走り抜けて行った。




静寂。

誰もいなくなった坂道。
ブルーとルーだけが身動きもせずに立っている。

「...ブルー?」


彼の視線はフードの奥から銀の髪の娘が走り去った方向へ向いたまま。
ストーカーまがいと呼ばれる程、待ち望んだパン屋の娘。
それがよりによって自分に向かって投げキッスを寄越したのだ。
初々しい桜色のドレスに長く風にあおられた銀の髪。
微笑みに細められた金の瞳。
ブルーは座り込んで溜め息を吐いた。
娘の微笑みと投げキッスを見た瞬間彼の脳裏から
あの『男のような走りっぷり』は消え失せていた。

「ああ、オレもう駄目だ...」

ブルーの脳内で全ての計画ががらがらと崩れていく。
女神と言えば、二週間後の祭りじゃないか。
支度が出来次第街を出るつもりだった。ルーの事さえ片がつけば。
金の瞳と笑顔が甦る。

「ブルー、大丈夫?」

「大丈夫じゃない...」






それから。
彼らが神殿へようやく着いたのは昼過ぎだった。
のろのろと何度も振り返り歩くブルーを押してルーが坂道を登ったのだ。
司祭はブルーを時間も守らないいい加減な馬鹿者、と一瞥。
いくつかの質問を始めかけるも、溜め息ばかりであまりにも
心そこにあらず、といった有様に席を立ってしまった。

「いいかい、ブルー殿、君が人畜無害なら僕は一切関わる気はないんだ。
ルー君の確認を取りさえすれば僕は一切干渉したくもない。
だから話もまともにできないわけのわからない状態の時は頼むから来ないでくれ」

「....はあ」

ルーだけがにこにこと笑って流石のカノンも溜め息をもらし
ブルーのそれと重なった事に渋面で出て行った。





その頃、街では。
飛び入りで女神役を買って出た南方の黒髪美女にオーディションは混乱しまくっていた。
彼女以外にも押しの強い美女達がそれぞれアピールを繰り広げ
その隅っこでは桜色のドレスの娘が大欠伸を連発し、付き添いの女に小突かれていた。


天気のいい午後の事である。