草原の満ち潮、豊穣の荒野
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54 破戒司祭

神殿の朝。
カノンは早朝の職務を済ませた後、軽い朝食を取った。
今日はブルーが先日指定した約束の日だ。
彼にとっては時折起こりえる出来事のひとつに過ぎないせいもあってか、
とりたててその行動に変わりはなかった。
ただ、無鉄砲で考え無しに見える約1名の街人に多少イラつかされているだけだ。
いや、街人と言うには、連れているものが尋常ではないのだが。


それでもその『尋常ではない』ものは毎日神殿に通って来て、
子供達の中で問題なく過ごしている。
勿論、ひとたび何かが起これば即座にしかるべき処置を取れるよう、
注意は怠っていない。
そうして何気にずっと『ルー』を見ているが、
それは普通の子供としかいいようがなかった。

体の構成、魂の有無ですら問題にならないくらい、子供らしい子供。



ひとつだけ挙げるならば、彼には悪意がなかった。
普通ではありえない程に、善意と好意しか持たなかった。
それはそれで好ましい事ではあるが、例の連れがああだ。
こんな出来過ぎた『子供』が何故....。
一体彼は何故、こんな『ひとがた』を連れている?
侮っているつもりは無いが、彼はどう見てもただの獣人だ。
特に闇だの魔術的な要素も見当たらない。
だがルーの胸にあるものは普段の自分の目ですら眩ませて、
密かに燃えていた。

そしてブルーの太陽光への異常な反応。
もっとも、それが彼とルーの間に種族的、血縁的な繋がりが
全く無いだろうと思われる根拠であり、証明のようでもあるのだが。
仮に、魔術師が人工的に『生命体』を作り出したとしても、
ここまでのものは国家レベルでしかあり得ない。
それでさえも、大半の例が失敗に終わっている事をカノンは知っている。
数少ない成功例も、希に要人の影武者や重要な機密に従事させる事はあるが、
必ず秘密裏に全てが運ばれ、それが一般の目に晒される事などほとんど無い。
あんなに堂々と街中を歩いているなんて、とんでもない話だ。


仮説を立てるなら、盗み出されるか逃げるかしたものを
プルーが何処かで拾った、というのが妥当なところだろう。
どう考えても彼が盗み出したとか、直接関連している気配はない。
あの青年はあまりにも迂闊で、先のことを考えなさすぎる。
魔鳥の幼生の時も、あの様子では何処かの悪い商人に騙され、
押し付けられたというのがオチだろう。
殺されたものへの反応を見れば、大体その人間の本質はわかる。
人間ならまだしも、動物で狼狽えているようでは――――――
生き死にの仕事に関わってなどいられまい。
普通程度の『善人』ではあるのだろうが、彼は自覚の無い愚か者だ。
放っておけば同じ愚を何度も重ねるだろう....



「大バカ者には口で言ってもわからないか...」


カノンは銀色の棍を取り出し、磨いた。
チンピラや小悪党など『普通』の人間の相手は、そもそもカノンの管轄ではない。
町の治安を守る専門の組織は別に在るのだし、多少のもめ事程度ならば
本来そちらに任せてしまうのが常だ。
だが、この件については、連れているものに問題が在りすぎる。
何か面倒が起きる前に、相応の手は打っておいた方が無難だ。
そのためにはまず、あの自覚の無い馬鹿者からきちんとした事を聞き出し、
『子供』の事を調べなければ。
既にそれとなく問い合わせは出してある。
『裏』に関連する機関で人工の生命体の不始末がなかったかどうか。

この街は穏やかで、何もやる事などないと少し油断があったか...。
カノンは軽く銀棍を振った。
無駄がひとつもない、流れるような動作。
完全に己と一体化した武器。
ブルーへの自信は奢りではない。
自分の未熟さを知らない子供に突っ掛かかられたような気分で、
カノンは溜め息をつき、棍を下ろした。
ブルーは『武術の手合わせ』などと言っていたものの、
その内容が喧嘩レベルでしかない事ぐらいは明白だ。
相手が素人で『普通』のヒトであろうと、手を抜く気は一切ない。
手加減は必要だが…それも相手の出方によってはどうなる事やら。

迷惑な申し出に幾度目かのため息を吐きながら、
カノンは子供達の教室に目を向けた。

笑い声と歌が聞こえる。
問題はないようだ。
多少歌詞の内容が無茶な気もするが、困るような事でもない。
他の司祭なら真っ赤になって怒りだすようなシロモノでも、
カノンにとっては微笑ましい程度でしかないものが多い。
注意すらせず済ませてしまう事もしばしばだ。
その辺りが、カノンと他の司祭達との明確な違いだった。
夜、街で暴漢に出くわした時の方が、日中神殿での務めを果たしている時よりも
目に生気を宿している。
にこやかな司祭に一度でも『注意の実力行使』を受けた暴漢は、
彼の姿を見ただけで逃げ出していく。

神殿の司祭の一部はカノンをこう呼ぶ。



『破戒司祭』と。