草原の満ち潮、豊穣の荒野
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39 Dead Or Alive 火と水と灰

森の奥深く。
木々と薮の隙間。

ブルーは硬直したまま腹を据えた。
これでも子供の頃から海で魔物と渡り合って
生きて来た。

間違っても黙って喰われる気はない。
魚の干物じゃあるまいし、陽に焼かれてゆっくり
死ぬくらいなら...


喉にゆっくり手を当てる。
使える手段を惜しむな。

ここは海じゃない。
...出来るか?

自問自答を彼は打ち消した。
雛鳥を足で蹴飛ばし背後に放る。
少しずつ嫌な気配が空気に広がって行く。
本能が逃げろ、と告げるがあまりにも近い。

なんで気が付かなかったんだ。
くそったれ。
間違ってもこんな気配は街人じゃない。

息を吸い込みながらゆっくりと立ち上がる。
ブルーの喉の周りに微風が生まれていく。
彼はまっすぐ気配の真正面に顔を向けた。
おそらく向こうも同じようにこちらを捉えているだろう。
間違いなく緊張した空気が張り詰めている。
どちらが先に仕掛けるか、僅かな均衡。


ブルーの口が開きかけたその時だった。



「人ならば警告しておく。
仕掛ける気ならやめておく事だ」



気配の主の通告。
纏った気配とは裏腹に穏やかな声。
ブルーは戸惑った。
声の波長、波紋から情報を読んだそれは地上の人間。
しかもごく一般的な体格の成人男性。

「....あんた、人間か」

年令20代半ば前後、整った発音
感情の乱れもない落ち着き払ったそれは
深夜の森に無気味なくらい似つかわしくない。

「ここは『人』の暮らす領域だ」

声の主が葉蔭から静かに現れた。
落ち葉を踏んでいながら足音すらしない。


「....え。嘘だろ....」


ブルーは目を疑った。
読み取った声の情報通りとは言え
あまりにも普通の人間がそこに立っていたのだ。
黒い服なのか暗闇に紛れてはいたが
大仰な装備をしている様子もない。
僅かに目立つものといえば、片手に金属質の棒のようなものを
持っている程度か。

「用があるのは君じゃない。
が、後ろにいるモノについての説明は
してもらおうか」


穏やかながら有無を言わせない響きを持った口調。
ブルーにとって一番気に入らない類いの話し方だった。


「...街の方...ですか」

「尋ねているのは僕の方なのだが?」

「ああ、そうかい」


ブルーは幼生を掴むと背を向け立ち去ろうとした。

なんなんだ、こいつ。冗談じゃ無い。
どうせこんな時刻こんな場所に来るような輩は
ろくな奴じゃない。人かどうかも怪しい。
さっさと退散した方が身の為だ。


「君がまっとうな『人』ならば、手荒な真似はしたくない」



言ってくれる。

ブルーはフードを目深に被り、背を向けたまま答えた。

「まっとうかどうかは勝手に決めな。
こっちはあんたがどう思おうと知ったこっちゃないんでね。
それともあんた、こいつが欲しいのか?」

「そういう事になるかな」


男の返答。
彼は思わず振り向いた。


「....あんた、魔獣使いか?」


「魔獣と知って持ち込んだわけか」


...くそったれ。
ブルーは己に毒付いた。


低い声と同時、その男は間合いの距離に立っていた。

「だったらどうする」

「容赦は必要無い、と言う事だ」


ブルーは全力で走り出した。
一番避けたかった事態だ。
こんな尋常じゃない気配の奴の相手なんかごめんだ。
多分、治安維持の何かしら役職についている男だろう。
逃げるが勝ちだ。


「うわっ!」

足下に銀色の筋が走ったかと思うと
ブルーは派手に転がり倒されていた。
暗闇の中にも関わらず、目前に突きつけられた金属棒が
冷たく微かに光っているのを見る。


「大人しく渡せば、この場のみの事で済ませよう」

「そりゃ粋な計らいで」


ひっくり返されたブルーが仏頂面で答えた。

こいつの言う事はなんでこういちいちムカつくんだ。
名乗りもせず、いきなりコレかよ。
まわりくどい喋り方も気にいらねえ。人魚共もそうだった。
慇懃な連中なんざ関わりたくもない。


「...どちらのお役人かは知りませんがね。
こちとら事情ってモンがあるんだ。
多少法に触れたかもしれないが、もう少し
やり方ってもんがあるんじゃないですかね」

「事情以前の問題だ。
街なかを人食い連れで歩くつもりなのか?」

「ひ..人喰いったってそりゃ、成獣の話だろ!
こんなチビに一体何ができるってんです?」

男は静かな声で答えた。



「女子供なら充分襲える大きさだよ」


ブルーの顔が青ざめ
脳裏にアルファルドの真顔が浮かんだ。


なんてこった。オレはそんなのを懐に入れて
あの人の波を歩いてたのか。


「君はまさか、街道を通って連れて来たんじゃないだろうな」

「..........」


「違法な魔獣使いがどんな目に合うか知っているかい?」

「..........」

ブルーは背中に幼生を持ったまま嫌な汗を流すしかなかった。

「八つ裂きだ」



どうしてオレはこう行く先々でこんな面倒な事にばかり
巻き込まれるんだ。


「僕は役人では無いんでね。それを素直に渡してくれるなら
君の事には関知しない」

「....こいつを一体どうするつもりです?」


仕方なく幼生を彼の前に差し出す。
嘴の紐を解いて軽く撫でた。


「悪く思うなよ。ちび助」

不機嫌そうに白い産毛を膨らませた幼生が
よちよちと歩き出した瞬間。



ブルーは目の前で起こった事を理解するまで数秒要した。


鈍い音と共に小さな羽毛の塊は
背中から胸部を貫かれ、足だけを震わせている。
目の前の男が突き通した銀色の棍を持ったまま
何事か呟いた。

一瞬の焔。

その焔にブルーは彼の顔を始めて見た。
彼もまた同じように相手を見た。



小さな体は灰さえ残らなかった。
ただ羽毛が一枚だけ
ふわりとブルーの目の前に浮かんで落ちた。



「.....おい」


銀色の棍を手にした男は片方の手で
何事もなかったように己の眼鏡に手を添えた。
前髪が半分顔を覆って表情まではわからない。

無言で立ち去りかけた男の背中を見て
ブルーが突っかかった。


「ちょっと待てよ。いくらなんでも...」

振り向きもしないまま男は無感情な声を返す。


「人食いの魔物にどんなエサを与えるつもりだ?」

「それは....」

ブルーが口ごもった。


「それとも君がエサになるとでも?」

「.....」

「半端な魔獣使い崩れは迷惑だ。
尤も彼等とて生業にする以上、万が一にでも被害を出すような
バカな真似はしないがね。

君には魔物の始末に口を出す資格すらない。
治安部隊に引き渡されないだけでも感謝するんだな」



黒髪の男は現れた時のように足音も立てず姿を消した。


夜更けの森。

彼は俯いたまま黙って歩き始めた。
再び訪れた静寂にブルーの足音だけが響く。

...水を探してた途中だっけ。
水さえ見つかりゃこのひどい気分もなんとかなるだろう。

そんな事を思いながら彼もまた、森の奥へと
立ち去って行った。