草原の満ち潮、豊穣の荒野
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27 夜明け前 酒場にて

オンディーン、彼はいつもひとり酒場で食事を取る。

神殿に保護されてから一度も学生達の食堂へは
寄り付きもしなかった。



「.....オンディーン、お前さんは何故ここで寝るかね」

「細かい事は気にしない方がよろしいかと」

「.....そこは俺の寝床だ」

「従業者の福利厚生の問題です」

「お前宿舎があるだろ!女のとこで泊まらない日は
いつも転がり込んできやがる。
しかも誰が従業者だって?」

「貢献はしてるじゃないですか」

「神学生の分際で『場主』、こっちはヒヤヒヤさせられっぱなしだ。
老司祭まで混ざってもう滅茶苦茶だよ、うちは」

「神殿お抱え賭場って事で何があっても大丈夫ですよ」

「って毎回乱闘してるのはお前だ」

「賑わっていい事です。日々の疲れやうっぷんは
何処かで吐き出すのが肝心。お客も楽しそうに暴れてるじゃないですか。
売り上げも上がってるし、きれいどころも来る。
こんな活気がある酒場他にありませんね」

「で?」

「そろそろ私は寝たいんですが」

「....とことん居座るか」

「諦めて下さい。ここが気に入ってるんだ」

「とんでもねえのに懐かれたもんだ...やれやれ...」




鼻ひげを擦りながら中年の店主がソファを引っ張りだす。
当の居候はもう寝息を立てていた。
『自分』のベッドで堂々と。

もう何年も繰り返されるやり取り。
もとより店主もとうに投げてはいた。実際この若造の言う通り
自分の店はこの一帯で一番賑わっていたし
彼もそれは悪くないと思っている。

毎日朝食を食べ、ごく普通に酒場から神殿へ出かけ、適当に
戻って来る学生。大酒を喰らいイカサマ賭博の腕を競う。
あろうことかあの老人すらしれっと混ざっている。



「俺のうち戻るの面倒臭いんだよ...女房ガキはうるさいし。
....しかし普通居候がソファだろ。厚かましいガキだ。
口だけお上品になりやがって胡散臭いったらありゃしない。
老司祭もこいつをどうする気なんだか...」


店主はそっと戸棚を開いて酒瓶を眺めた。
狭い仮眠部屋だが酒棚だけはしっかりある。

「おっと...」

寝酒に選びかけた瓶を戻す。
これは自分の酒ではない。この20歳になる神学生の物だ。
彼が飲む酒はいつもこれだ。彼が初めてここに来て以来ずっと。
度数も強い。
店主は自分用のごくありふれた安酒を取り出した。



「.....じじいの言い付けか」

「あ?」

背中を向けてシーツに潜り込んだまま彼は言った。


「あのクソじじいの部屋にあったものを持ち出して調べたら
オレの酒の中に同じものが入ってやがった。
巧妙に隠されてはいたがね。

あのじじいが何を企んでるかは知らんがこっちも
いつまでもバカじゃない事だけは覚えておけ」



店主は肩を竦め、ゆっくり安酒を流し込むと呟いた。


「....俺は何も知らんよ。
お前は相変わらず問題抱えたバカなガキで
あのじいさんも問題だらけの年寄りだ。
俺にとっちゃただそれだけだ。

とっとと寝ろ。お前明日は司祭資格免許の試験だろ。
薬学以外からきし駄目でもう何回
落ちまくったと思ってる....」




仮眠部屋の明かりが消える。
賑わった酒場は静まり返り派手な灯で隠されていたものが
青い闇に浮かび上がる。
汚れた壁、染み、転がった勝手口のゴミ箱を海獣が漁る。
扉の外で放り出されたまま眠る酔っ払い。
女の落として行った片方だけの耳飾り....


夜明け前。