草原の満ち潮、豊穣の荒野
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22 海流神話〜戦闘人魚

ある男の記憶。


彼は海流神に仕えていた。
深海中央都の心臓部。

海の焔を塔の頂上に祀り護っていた。


その頃からもう女神は『いなかった』
あるのは女神と呼ばれる海の焔がひとつ。
凄まじい光を発し何重にもクリスタル状の
遮蔽壁に覆われ、海を照らし
深海をまるで太陽の当たる場所のように
整えて機能していた。


透明な石に包まれた『命の焔』
蒼と赤、黄色、白色様々に色を変え燃え上がる。


彼はそれを護っていた。
正しくは彼等。




「ひびが...」

「ようやく収まったか」



塔以外そこは瓦礫の山。
白衣のふたりの男は廃虚に聳えるその塔と光を
眺めて息をついた。


「いつまで探す気だ」

ふたりの白衣の男の前に広がるのは
瓦礫に埋もれた多数の死者の
突き出した腕や足ばかり。

「見つかるまでですよ」

ひとりの男...まだ若く白銀の長髪に白衣の神官服。
研究者の証明を標す縫い取りと
海流神の神紋を灰や赤茶けた色に汚しながら
岩や柱、壊れた壁材をどけ続けている。

かたやもうひとりは短い黒髪の長身。
年令は白銀の男よりだいぶ年長。いでたちは同じだが
廃虚の上に座って遠くを眺めるのみ。
白銀の男はただひたすらに岩を転がし
名を呼び続ける。

友を、同僚を、学生を、己と関わりがあった数々の
人々の名前を。
時折何かを見つけては苦しそうに顔を背け
また他を探し始める。


焔が焼き払った瓦礫。
潮流が荒れ狂った廃虚。
泥流が飲み込んだ命。
海流の流れて行く方向には、
重力を失ったかのような
幾体ものひとであった有機物が漂っている。

「......無駄だ」

黒い男が呟く。
白銀の男は答えない。
その長く白い髪を白衣と同じように汚し
指先の爪を割り、重い岩を押し転がし続けた。



「あ!」


瓦礫の下、白銀の男が何かを見つけた。

小さな手。

「...やめろ。見てどうする」

銀の男は悲痛な顔でその手を引く。
最早生きてはいないと知りながら
こんな所で眠っちゃいけない、と引き続ける。

小さな子供の手をこれ以上傷つけぬよう
慎重に掘り出しながらまわりの障害物をどけて行く。
重く鋭利な残骸。
まだ熱い物すらあった。

しばらくしてようやく手の持ち主が引き上げられた。



「これは....」

眠るように埋もれていた幼児。
傷がほとんど見当たらない。
まるで生きているような......

「...生きてる!生きてますよ。この子は!!」


白銀の男が振り向いて叫んだ。
子供の胸から鼓動を聞いたのだ。
黒い男は一瞬呆然としたあと、眉間に深い皺を
刻んで眺めた。

その子は眠っている。体のあちこちに深かったであろう
傷らしきものが残っていた。
いずれも薄く、一見無傷にすら見えていた。

「....再生種か」



黒い男が立ち上がる。ゆっくりと白銀の男に
近付いて行く。

「刻んで焼き払うしかないな」

「...........」


白銀の男が子供をかばうように後ろへ隠して下がった。
黒髪の男はゆっくりと何も待たない素手を差し出した。

「渡せ」

「渡さない」


その顔は何かを決意したかのように
黒い男を見ていた。
黒い男はまたか、と頭を振り問うた。




「失敗を認めるべきだ。過ちを償うのは残った者の
役目ではないかね?」

白銀の男はその問いにまっすぐな視線を返す。
断固とした拒否の色が浮かぶ。

「犠牲をこれ以上増やすな。
失敗したんだ。もうここで終わりにしろ」


「この子に可能性が残されています。まだ
諦めるべきじゃない」

微動だにせず、子供の前に立つ白銀の男。
その目は穏やかながら、確信と怒りが浮かんでいた。



「何人死んで行ったと思ってるんです。
失敗の名の元に処分され、化け物扱いさえ
された彼等がこのまま化け物のまま
葬られるのは絶対許さない」


「地上への夢はもう潰えた。
お前とてずっと見て来てわかっているはずだ」

「それはこの子が死んでいたらの話です。
この子は生きている。しかも己の生命を
補って生きる力を授けられた。
これこそ私達が求めていた..」

「この様を見てもそう言い切れるか?」


黒髪の男は転がる死体とかつて研究施設だった
残骸を顎で差した。


「あの若い娘もそうやって安心した矢先に
魔獣化したのを忘れたかね。
老人も、子供も、若者も
何人がどんな姿に変わり果て
この惨状を引き起こしたか忘れたか?

我々が出来たのは『女神』を護る事だけだった。
この塔を護り、彼等に安息を与える事しか
残ってなどいない」



白銀の男は一度だけ下を見た。
足元に転がった死体の半分は集められた人々だった。
黙とうのように目を閉じ彼は再び顔を上げた。

「覚えていますか?」


白銀の男はひとつの童話を諳んじはじめた。


       むかしむかし、南の浜に
       特別な椰子の木がはえていました。
       その木はまっすぐ
       月に向かってはえていました。
       一本だけの神様の木で
       月や星をひとやすみさせるために
       はえている木でした。

       それはとても高く
       空にむかってのびていました。
       月や星はその枝に腰掛けて、こっそり
       ひとやすみしては
       夜空へ登っていったのです。
 
       ある夜、ひとりの少年が月をさわりたくて
       木に登ろうと思いました。
       とても高い木です。なんにちもずっと
       登り続けなければなりませんでした。
       少年はとうとう力尽き、下に落ちました。
       まっさかさまに落ちて行く少年を
       風が吹き飛ばし
       その体は海へ落ちて
       沈みました。


黒い男は聞きながら表情を歪めて言った。


「どけ...。過ちは償わねばならない」

「いいえ。こんなことは償いなんかじゃない。
理不尽な悲しみには怒るべきだ。
抵抗すべきだ。
諦めてまだある命を絶つのは間違っています」

「その子を誰が保証するというんだ」

黒い男がイラついた声で問う。





「それが我々の仕事ではなかったか」

静かな声。はっきりと白銀の男は答えた。



「死んでしまった彼等こそが犠牲だ。
集められた人々は昔話を信じて自らやってきた。
空へ、南へ行こう、と。
遥かな地上へ。
遠く、道は長いけれど、誰かが行きつけば
あとに皆が続いて行ける、と。

そう皆が信じたからこそ彼等は身を投げ出して
実験台になったのだ。
地上で生きられる強い抵抗力、身を守り
荒野を切り拓く強い肉体と精神力。
困難を乗り越えて導く海流神のしもべ。

その誇りを彼等は命と代えたはずだった!」



「もう夢は終わった。無理だったんだ....
このまま引きずれば犠牲を増やして行く。
それがまだわからないのか。

俺だって好き好んで処分してきたわけじゃない。
最後の通告だ。

..................渡せ」


白銀の男は首を振った。
黒髪の男の手が彼の喉元に近付いても。

「あなたの選択は間違って...」


白銀の男は最後まで言葉を続ける事はなかった。
ゆっくりとその頭部は後ろに
赤い血を噴き上げながら海流に流されて行く。

黒髪の男の指先はその細胞配列を変え
固く鋭い刃となってその言葉を永遠に断ち切った。

頭部を失った体はゆっくりと崩れ落ち
二度と動く事はなかった。



「..............」


微かな震えと共に倒れた部下と小さな子供を
凝視する黒い男。
子供は目を覚まし、彼を見上げて笑った。


指先の凶器を子供に向ける。
子供の笑い声と共に黒い男の体中の傷が
消えて行く。暖かい生命力を取り戻して行くように
心地良い感触。

まだ子供は幼い。
首のない体の傍に座って笑っている。
倒れた死体には何一つ変化は起こらなかった。



「うおっ!!!」


黒い男が激しい叫びと共に岩へ己の拳を叩き付けた。
塔を見上げて男は吼えるように叫んだ。

言葉にならない叫び。
子供の笑い声に耳を塞ぎながら彼は
叫び続けた。

もう誰もいない。
夢も祈りも願いの声もない。
ひっそりと進められた願い事は
大惨事を以て潰えてしまった。

指先の刃が光る。

塔の焔の光は死者を照らしだす。
黒い男にこれを見ろ、といわんばかりに。

男は子供の傍にひれ伏して泣いた。
何時間も何時間も泣き続けた。





戦闘人魚。
海流の女神に仕えるもの。
地上への移民を夢見た果ての魔獣。
護る為に殺した。

己も実験体の移植を受けた化け物であったにも
関わらず。

彼がどんなに何日泣き続け衰弱しきっても
子供の笑い声が彼を回復させる。
彼は何年もそうやって慟哭し続けた挙げ句
いつしか髪は長く伸び白く変わり果てていた。


古い古い時代の記憶。