草原の満ち潮、豊穣の荒野
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20 博徒司祭

オレの名前はブルー。

ここではわけあってオンディーンなんて
イカレポンチな名前で呼ばれている。

海流神の神殿に来てそろそろ一年。
頭に来るあのじじいにはいまだに
やられっぱなしだ。

学生共にはまあ、そうだ、10対1までならなんとかなる。
仲間なんかいらない。
奴らだってそう思ってる。
口をきくより手の方が早い。奴らのゴタクを聞いていると
殴りたくて殴りたくてムズムズする。
乱闘になった時だけ気が晴れる。



ひとり鬱陶しい奴がいる。
人魚の野郎だがやたら声をかけてくる。
ごていねいにもオレが11人相手でボコられていたら
割って入ってきやがった。
オレはそのまま抜け出し、奴がひとりでボコられていた。
バカじゃねえか。
助けろなんて言う気なんざ死んでもねえよ。


それ以上にバカ野郎なのは学生共だ。
ボコられてるのがオレじゃないって事にも気付いてない。
オレはバカバカしくなって飯を喰いに行った。


オレだって金を持参してこの神学校に入ったんだぜ。
もっとも女神像をぶっ壊したけどな。
母親が払った金だ。
使えるものは使ってやるよ。
どうせここから出られないんだ。
せいぜい学んで魔法でもなんでもブっぱなして
出て行くさ。

それまでは喰うものも喰って体を鍛える。
宿舎の食堂なんざ反吐が出るから
いつも酒場へ行く事にしてる。
じじいに煮え湯を飲まされた場所だが
唯一肌に合う場所だ。酒場の親父達は懐かしい匂いがする。



「おう、弟子が来た来た」

「弟子はやめろ」

「じゃあオンディーンか」

「もっとやめろ」


酒場の親父が鼻髭についた鼻糞を飛ばす。

「汚ねえな」

「うるさい。ここは上品な店じゃないんだ」

「だから来てるんだよ」

「まあ、座れ。待ってたんだ」


酒場のマスターと親父達が手招く。
サイコロがコップに入って無造作に置かれていた。

「博打かよ」

「やるだろ?」

「当然」


こいつらオレをガキだと思ってカモる気だな。
思わず顔が緩む。


小一時間経過。


「なんでだよ。お前教えてやろうと思ったのに」

「そう言ってカモり倒すつもりだったんだろ」


オレはサイコロを放り投げて弄びながら親父達の
くしゃくしゃの金を回収した。


「絶対おかしいぞ。こいつ。なんかやらかしただろ」


ひとりのおっさんが悔しそうに立ち上がって喚いた。

当たり前だろ。イカサマに決まってんじゃねえか。
オレはニヤリと笑って言った。


「おっさん達に教えてやってもいいんだぜ。
そんじょそこらの奴にゃ見破れねえヤツをさ...」





オレはおっさん達の奢りで酒を腹いっぱい飲んだ。
マスターが鼻くそをほじっている。
目が合うと笑ってごまかしやがった。

「その手でオレの酒は注ぐなよ」

「ちゃんと見とけ。あっはっは」



おえ。

オレは飯をすませて猥談に混ざった。
ひとしきり女やら怪し気な話に興じたあとマスターに
話しかけた。


「なあ、おっさん。あのじじい何者だ?」

「ああ、司祭の事か。あの爺さんの正体は誰も知らんよ」

「嘘つけ。口止めか」

「いや、誰よりも長く生きてるって噂だ。皆誰も爺さんの
若い頃を知らん。」

「若い頃?」

「ああ、名前だって誰も知らん」

「はあ?」


そういや誰ひとりじじいの名を呼んだのを聞いた憶えがない。



「知らんというより古い世界の言葉らしくて
誰にも発音できんのさ」

「なんだそりゃ」

「名前だけじゃない。あの司祭には伝説がいっぱいあるのさ。
あの体格だろ?若い頃素手で鯨をふっ飛ばした武勇伝もある」

「んなわけねえだろ」

「いやいや。その証拠にあのガレイオスっていう
マーライオンの弟子を見ろ。
奴らの種族は人魚と同等もしくはそれ以上の能力と地位を持ってる。
それが一介の海人の年寄りに頭を下げるんだからな」


親父が話しながら鼻の穴に指を近付けたんで
オレはその手を掴んで阻止した。


「ガレイオスの野郎は気に喰わねえ。
スカしてやがるからな」

「あれは次期指導者になる男だぞ。あんまり逆らうと
あとが面倒だ。おとなしくしておけよ」

「やなこった」

「あいつもとんでもない怪力だ。海の種族最強の体力と
知力を誇る連中さ。お前なんか逆立ちしたってかなうもんか」


「ふん、好かねえモンは仕方ねえよ」

「司祭もなんでこう妙なのばっかり連れて来るんだか」

「他にもいるのか?」

「いたけど大抵すぐおとなしくなって神殿務めに励んでたさ。
お前みたいに一年たってもそんな減らず口叩くガキは
はじめてだ」



オレは横を向いてベロを出した。
実はじじいの前では言葉遣いを矯正されつつあったのが
面白くなかったからだ。
じじいは言ったもんだ。


『お上品な連中を嫌うのは勝手じゃが、その口のきき方では
交渉ひとつできんぞ。
まともな交渉ひとつできん奴は吠えて愚痴るだけが関の山じゃな』


私だと。
貴方だと。
てめえとオレでいいじゃねえか。

だがスラムに戻ればいつかそんな連中の裏をかく必要だって
あるかもしれない。ここはがまんするしかない。

『貴方にお会いできて光栄です』

『アナタニオアイデキテコウエイデス』

『お前はどこの怪しい国からきたんじゃ』


やかましい。

ムカついたので講義のあと寄って来た例の人魚を
ブっ飛ばしてすっきりした。
こいつは可哀想な外れ者を哀れんでいるつもりなのか。
実は一番こういう奴が頭に来るんだ。
ここのとこ一日一回はボコっている。
でも寄って来る。なんて奴だ。




「で、鯨がなんだって」

「だから怪力なんだって。酔っぱらって
ケンカなんかされたらどうなるかわかったもんじゃない。
お前だって酒桶に漬け込まれてベロベロだっただろうが」

「忘れたな」

「まあ、自分から乱暴な事をする人間じゃない」

「嘘つけ」

オレは何度頭からあの妙な海に叩き込まれた事か。
あのじじい絶対楽しそうにやりやがった。
口より先に手だ。どこが乱暴じゃないだ。


「司祭は慈悲深くて人望も厚い。
辺境の連中だって彼の世話になってるんだからな」

「.....」


辺境と言うのはスラムの事か。
信じるかよ。オレの街にはそんな奴いなかった。

「慈悲深い聖職者か。そんな奴がなんでこんな
掃き溜めに来るんだ。人の話してる間に鼻くそほじってやがる
店主に説教でもすんのか」


「オンディーン。そのくらいにしておいたがいいぞ」

「その呼び方はやめろ。あのクソじじいが勝手に付けたんだ。
思い出しただけでもじじいブチのめしたくなる」

「やめろって」

「おい、店主いっそじじいが来たら鼻クソ酒でも飲ませてやれ」

「....後ろ見てみろ」

「あ?」








オレが意識を取り戻したのは数時間後だった。
ガンガン痛む頭の後ろでじじいが
博打に興じている声を聞きながら
絶対いつかブチのめしてやると誓った。


そしてオレが教えたイカサマはあっさりじじいに
見破られていた。
じじい、覚えてやがれ。