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ムシトリ日記
加藤夏来
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2006年11月09日(木)
『名もなき毒』感想(ネタバレ)

宮部みゆきという人は昔から、ごく普通の生活を送っているごく普通の人々を描くと、途端に筆が冴える。彼女の小説は本質的に世間話で、登場する人々の身の周りの話に「うん、でもそれはさあ……」と言いたくなったところが真骨頂だ。この小説も、一応推理小説やサスペンスの体裁はとっているものの、ミステリーのことなんて忘れてしまったほうがいい。

知らない人が多いようなので説明しておくと、この本は続きものの二作目である。ただし、一作目は読まなくても一向に構わない。読んで気になったら前作「誰か」をひもといてみてもいい。実際そうしている人も多い。

ストーリーは、何か一つの大きい事件を追うというより、小さな問題やちょっとした身の周りの話を複雑に絡み合わせて、「毒」というキーワードでまとめあげている。一番大きい問題は無差別連続毒殺事件なのだが、見ようによってはこの事件と犯人は本筋ではないようだ。どこから何が出るか分からない、じわじわ実感されてくる悪意が、まさに毒のようで気味が悪い。はっきり言って上手い。

キャラクターも非常に人数が多い割に「えーと誰だっけ……」ということがない、鮮やかな書き分けられ方をされている。その中でも、誰もが「まず、こいつ!」と指を差すであろう、原田いずみの人物描写が強烈だった。

理想の自分と現実の自分との間にギャップを抱え、それを埋めるために自分にとっては真実である嘘をつきまくり、嘘の結果である自分の不遇に常時尋常でない怒りを抱えていて、他人への責任転嫁と攻撃衝動に明け暮れる……って、うわあいるいる、いるよこういう人……。orz

また、「ミスを指摘すると言い訳するか、相手に食ってかかる。しかも仕事はウルトラ無能」だとか、「自分はかくかくしかじかの被害を受けたという嘘八百を、周囲の人間にまいて回る」だとか、「煮え湯を飲まされた前の職場の人が、いざ事情を話すとなると思う存分彼女の悪口を言えるので勢い込んでいる」だとか、妙にディティールが正確なので頭が痛くなってくる。結婚式のシーンなんて背筋が凍りそうだった。

さすがにここまでひどくはなくても、身につまされる人が多いのか、原田いずみに対するいるいる・あるある度数は異常に高い。多分、こういう例が身近にあるかどうかで、この小説の面白さは乱高下すると思う。完全に話の通じない人を相手にする羽目になったいたたまれなさというのは、体験した当人でなければ中々想像がつかないものだと思うので。

あっさり書いてしまったが、こういういかにもいそうな人物を、身につまされるくらい生き生きと書くことができるというのは、物凄い出力の賜物だと思う。よくミステリー小説では、話が回ってオチがついたところで、「で??」と聞き返したくなってしまうくらい薄っぺらなものがあるが、宮部氏はその逆である。

悪役から通りすがりから、そのへんの街の工場長さんまで、神経の通っていない人間は一人も出てこない。ただ、あまりにいそうな人ばかりなので、「ああはい、知ってるよ」と勘違いされると、そのまま物語を通り過ぎられかねない。ただそういう人は、もともと相性が合っていないと思うが。

杉村三郎(これが主人公の名前……)氏のシリーズは、この後も続いて刊行されるそうなので、しばらくチェックしておこうと思う。その前に楽園が先だが。最近の本としては、外れる心配があまりない安全牌です。