お盆周辺を利用して、和装の勉強をしてみました。元々興味はあったので、初めて浴衣を買うついでがあったのです。浴衣は入門編としてはとても適当なもので、高校の家庭科の課題で作ったやつを練習用に引っ張り出してきて着ていたら、すっかり単なる部屋着になってしまいました。
着物は面倒だとよく言われます。確かに、いざ手をつけてみたら今まで知らなかったことをいっぱい教えられました。まあ、それを見越して長期休暇に割り振ったわけですが、まさか大学の授業というほど内容が多いわけでもないので、休みの日ののんびりしたおしゃべりです。
着物屋の店員さんと帯やら飾り物やらを前におしゃべりして、帰ってきたら私の趣味が派手すぎると文句を垂れる母とおしゃべりして、お盆の親戚の集まりに着ていくとまた、相好を崩す祖母や叔母と着物談義に花を咲かせたりして。そこで色々な情報をもらうわけですが、知識そのものよりも話し合う過程で起こる副産物がとても豊かでした。
ぜんぜんボケていない祖母が玄関に立った私に、真剣な口調で「どちらさまですか?」と言っただとか。 着物を畳むために床を広くしておかないといけないので、いつもの部屋が妙にきれいに掃除されているだとか。 ある程度以上の年齢の女性は、例え着ているのを一度も見たことないような人でも、それなり着物の着方について一家言持っているものだとか。着道楽の従姉妹たちなどは、別に年でなくてもDIYで着物アイテムを揃えているだとか。
「女らしい」とはどういうことか、というのが、長い間の謎になっていたのですが、自分で着物を着てみたら、いきなり解けました。なるほど、この服を着ていたら、女らしい仕草をするほうがずっと合理的です。
基本的に脚を揃えて行動する、走ったり足を上げたりしないのは、着物でそういうことすると裾が乱れてみっともないからです。袖を気にすれば自然にそっと手を出すようになるし、座るときは正座でないとバランスがおかしい。そして、両手を揃えて膝に置くのが確かに、一番美しい形になります。さらに美しい動作を追及すれば、お茶席か何かで様式化された型を覚えこむのが、最も手っ取り早いということになるでしょう。
何だ早く言ってくれよ〜……という気分でした。これはただ単に、カテゴリーが違うのです。競泳の自由形とバタフライみたいなものです。誤解のないよう言っておきますが、和装に男女平等や民主主義はありません。そういうことをするようなつくりになっていないのです。男と女というものをまず厳格なしきたりによって分けるところから、「男らしい」や「女らしい」を築き上げているものですから。それはフィクションなので、学習によって身につけないといけません。ただ、それを言うなら全ての社会的なありようというのはフィクションだと思いますが。
着物を着て街を歩いてみたとき、初心者でもはっきり分かる扱いの差にたまげました。偶然道で出会った会社の先輩や、行きつけのカツ屋の大将が固まったのは普段とのギャップとして、知らないお年寄りが明らかに選んで道を尋ねてきます。丁寧に帽子をとって挨拶してから。
着物を着ているということは、そういうフィクションやルール、別の言葉では礼節を身につけた人であるというサインになっているわけです。試してみるまではそういう特典に気づきませんでした。実際目の前にしてみると、たいへん気持ちが揺らぎます。うちの祖母を含め、お年寄りが皆尋常じゃなく喜んでくれたもので。
というわけで、浴衣を着たり畳んだりするために随分すっきり整頓された部屋で、これをまとめています。夏以外も練習しようと思ったら、最低あと袷と襦袢がいるんだよな。さすがに六万は高いよなあ……。
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