学生時代、しばらく付き合っていた男はお約束のように車が好きな人でした。田舎のことですので、もともとスピードに関するモラルは低いほうだったのですが、その人は殊更にスピードを出すことを自慢する傾向にありました。
ダッシュボードのところに小さな機械がついていて、何気なくその用途を尋ねたところ、“近くに警察の設置したスピード感知器があると警告してくれる装置”であると言いました。
大して性能のいいものではなかったようですが、『そんなものをつけなくても、最初から法定速度で運転すればいいんじゃないか』と言ってみたところ、大笑いされました。彼にとって重要なのは違反を見つけられないようにうまく立ち回ることで、交通ルールを守るという選択肢は融通のきかない、センスの悪い回答だったようです。
一事が万事この調子で、運転が乱暴なことをカッコいいと思って欲しいらしい彼と、そういう態度がいちいちカンに触る、まさに『融通のきかない』私は、何度か言い争いをしました。すると、反感を覚えた彼は、わざと彼の信じるところのカッコいい運転をするようになりました。
で、そういうある日、彼は私を助手席に乗せた状態で余所見運転して、追突事故を起こしかけました。ぎりぎりでぶつかりこそしませんでしたが、青くなって固まっている私を見て、彼は実に楽しそうに笑いながらこう言ったものです。
「やだなあ、そんな顔しないで。俺のドライビングテクニックを信用してよ♪」
心の底から一人で死ねタコと思ったもので、しばらくしてお引取り願いました。このとき以来、交通安全を軽視する奴と運転の乱暴な男は、全員真性のバカだと思うことにしています。仮面ライダーじゃあるまいし、わざわざ危険な状態を自分で作って見せなければ誇示できない技術なんぞ、無いほうがよろしい。
これと似たような理論で起こすのが、飲酒運転ではないかと思います。多分、彼らは自分ではドライビングテクニックがあると思っています。だから、普通人では危険になるような酒を飲んだ状況でも、センスよくテクニックを駆使して危険を避けられると思っています。それが美しい行為だと感じるし、他人よりも優れていることだと思うから実行するわけです。人、それを傲慢と申します。彼らの自己満足や個人的な都合の片一方には、ただの通りすがりの人の命が載っています。たまったもんじゃありません。
ルールを無視することを、カッコいいことにしないでください。
上のような思考をする人にとって、まず確実に「酒を飲んで運転しても捕まらなかった(ルールを無視しきった)」ことや、「飲酒運転でも事故を起こさなかった(ルールを無視しても問題なかった)」ことは、カッコいいことです。そう思っていることは、自分で吹聴してくれるのでよく分かります。ルールを守る能力が無い時点で、ただの恥さらしだという感覚を、浸透させていく以外にないんではないでしょうか。
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