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ムシトリ日記
加藤夏来
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2006年06月02日(金)
ちょっと前に考えたこと

子供の頃、兄と私は本当に仲の悪い兄妹でした。二歳差ですが、幼児にとってこの差は果てしなく大きいです。男の子二人を育て上げた祖母ですら肝をつぶすほどの大喧嘩をするので、大きくなったらどうなるんだろうと母は本気で泣いておりました。

私にしてみれば、兄にかなうことなんぞ金輪際あり得ない事態に思えましたので、喧嘩して負かされるたびに遅く生まれた不幸を呪っておりました。兄は絵が上手く、友達が多く、口車が恐ろしく早い子供で、当然ながら力や何かも、家の中で本ばっかり読んでいる妹とは比べ物になりません。劣等感が激しかったせいか、正月のカルタで負けた程度のことで何時間も泣いている始末で、息子とは違った意味で娘は両親にとって困ったもんだったのではないでしょうか。

その流れが成人まで続いていたので、迂闊なことにだいぶ後になって気づきました。もしかしたら、兄は兄で、妹に劣等感を抱いていたのではないかと。

これは掛け値なしに歯牙にかけていなかったことなのですが、私は兄よりも勉強のできる子供でした。本ばかりで青白かった報いに、国語に関しては二歳の差にも関わらず兄より知識があったし、中学受験から後の学歴はどの時点で比較しても兄より上です。なまじいい学校に入ってしまったために、またもや国語以外は追試ばっかりで、『ああアホ兄弟だわうち』で片付けていたのですが、今この社会の価値観で見れば、ことに成長すればするほど面白くない気持ちを抱いたとしても、少しも不思議はありません。

優越感、劣等感というのは厄介なものです。それぞれ外からは見えない価値観に支えられているにも関わらず、時々その他のもの全てを優先して発動したりします。「自分のテリトリーを守る」という本能的な部分を元にする、という原因はそれとして、自分に対しても他人に対しても制御を行い無意味に刺激しないための技術は、ことにパワーバランスの世界ではかなり重要なものになるでしょう。

分かりやすい例を引けば、「人をバカにする」という行動があります。バカにされて気分のいい人は一人もいないし、バカにした当人にとってもいいことはひとっつもないんですが、人はかなり頻々とこれをやります。見方によっては、人間は他人をバカにするために努力している、とさえ言えます。これが自分の価値観において人よりも上の立場に立つこと、優越感を満たすことを意味しているからです。事実どっちが優れているかはひとまず別の問題として、これが自然な現象であることは異論の余地がないと思われます。

自然に起こる現象を予測し回避するのが、先述の技術です。これは愛読している本からのいただきですが、『正論はコミュニケーションにとって障害である』という記述がありました。間違ったことを言えば何も分かっていないと腹を立てられ、正しければ相手のプライドを傷つけ、誇りを失わせる。正論自体が悪いというよりも、それが先に上げたような優越感と劣等感の戦いの構造に簡単に組み込まれてしまうということです。正論を語ること自体が当初の目的ではないことを考えると、これは不利以外の何物でもありません。

人付き合いと言い、気遣いと言います。個人的な感想ですが、それはかなり大半の部分がケーススタディからくる技術に依存しています。「ちょっとだけ」引いた観点を持つことが、この場合は役に立つツールになるんではないでしょうか。








拍手レス

うまむーさん>
こんばんは、応援ありがとうございます。ていうか応援せんでください! 勃起!(爽やかに
ほんとにうちの先生の天才ぶりには、毎回首がとれるばかりです。転がってばかりもいられないので、田懸神社のご神体にお神酒でも上げて祈ろうと思います。東京Ver.もそうですが、ED治ればこれも上手くイかせてあげられると思うので、頑張って治したいですね。……何で最近××繋がりが多いんだろう……そういう趣旨じゃなかったと思うんだけど……。
それでは、バイアグラ代わりに兄弟ものネタでも飲んで精進しようと思います。また真鍋さんを拝みにいかせてください。ご訪問ありがとうございました〜