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ムシトリ日記
加藤夏来
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2005年11月08日(火)

五歳の冬のことです。どうしてそれが分かるのかというと、覚えている風景が実家の近くの幼稚園のもので、なおかつ園庭に面した、年中組の教室としてずっと使われていた部屋だから。今はもう建て替えられてしまったので残ってはおりませんが、写真を見る限り齟齬はありません。また、誕生日が夏ですから、必然的にそこにいるときは五歳ということになります。

教室には古いガスストーブが燃えていて、『これ以上近寄ってはいけない』の黄色いビニールテープがその周りに四角く引いてありました。自由時間か何かで、友達は周りで遊び、先生は机のところで何か書き物でもしていたと思います。

私はずっと使っていた、赤いゴムのつま先がついたバレエシューズを、そのビニールテープの端にぴったり揃えて、一人でストーブにあたっていました。ガスストーブの前面に張られた枯れ枝のような意匠の、白い格子の模様を今もよく覚えています。

じっと眺めているうち、私は不意にとてつもなく奇妙な感覚に襲われました。わたし、という言葉の意味が、急に頭の中いっぱいになって溢れそうになったのです。周囲には友達がたくさん、他の教室にもたくさんいます。先生もいます。家に帰れば両親や兄弟がいます。私はそれらの人々のことを順繰りに頭に浮かべ、そのどれもが自分ではなく、従って自分と代わることはできないということを思いました。とても大勢の人のことが浮かびましたが、その人々のことを考えている「わたし」、これはどうやっても一人しかいないということを初めて考え、その不思議さに打たれました。

ストーブの照り返しで熱くなった頬を感じながら、私は私というものがこの世にいること、生まれてきて、育ち、生まれてきたということを今この場で考えていること、考えているという事実を、また同じように意識していることを、長い時間心に浮かべました。そういう心の状態がもたらしてくれる不思議な感覚を、まぼろしのように心に留めました。

そういう、ハタから見れば単にストーブの傍でボーっとしているという行動を何度も繰り返していたので、もともと素養がなかった私の運動能力は、とみに低下しました。

今でもその時のことを時々思い出します。あの時、ニューゲーム状態の私の意識の上に広がっていたのは、間違いなくある種の『謎』でした。言葉を知らなかったために、言語という手に触れられる形にこそなりませんでしたが、恐ろしく茫洋として、深くて、しかも自由な謎がありました。

人とは何か、というお馴染みの問いに対する考え方の技法として、自分のルーツを求めるというテーマがあります。私はこれに接するたび、闇の中に燃え上がる炎を思い浮かべます。実はその炎はガスストーブの火で、周囲を覆っているのは何も知らないがゆえの意識の暗さなのですが、不思議とその光景は少しも嫌なものではありません。そして、こっそり考えます。幸福な謎としてこの世に生まれてくることができて、本当に良かった、と。

様々な状況で、さまざまに人の存在という謎を追われる方がいると思います。答が出たという話をいまだに聞きませんので、これからもその数は多いでしょう。幸福な答が得られるかどうかは分かりません。ですがせめて、幸福な謎であれるよう、互いの幸運をお祈りしております。






拍手レス

>11/5の方
もちろん、以後も腕によりをかけて団長を振り回しまくるので、ご安心ください(親指) 回転数としては、ちびくろサンボの虎並みです。ご訪問ありがとうございました!