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ムシトリ日記
加藤夏来
→ご意見・ご指摘等は

2005年04月26日(火)
笑えるのは私だけか

頭がおかしい。(誉め言葉)

トップの飾りプレート素材(いちいち更新内容に合わせて選んで、毎回タイトルもつけてます。絶対誰も気づいてないと思うんで自分で公言します)を探しに行って、ネタ素材を拾ってしまいました。きれいなことはきれいなんでしょうが、一体これを何に使えと言うんでしょうか。ご本人の弁によると『僕を独占しようとしないでください』だそうです。何やら壮絶な事情が予想されます。





さて、ひどいことに気づくのが一日遅かったのですが、大阪で文字通り桁が違う事故があったようです。何を扱っているものだろうと、現場と名のつくものは常に事故の可能性をはらんで動いております。どこの工場でも掲げている言葉に「ゼロサイ」というものがありまして――初めて聞いたのは大学のインターンの現場でしたが――別に赤ちゃんとかいう意味ではありません。災害ゼロ、を意味します。

この言葉の意味するところは、もちろん事故を起こさないという目標でもあるのですが、それと同時に「例え何も起こっていなくとも、それは数値がゼロであるというだけのもの」、すなわち作業を行う場合は常にそれが事故の危険性をはらんでいるという事実を自覚せよ、ということでもあります。

工場の、とくに責任者は二言目には「安全、安全」と叫ぶのが大好きで、たとえ物置の片づけ中におじさんがぎっくり腰を起こしました、とかいう災害であろうとも、会社中に回覧を回し、ぎっくり腰に気をつけろという注意を垂れます。

変な話になりましたが冗談ごとではありません。どれだけ注意をし、どれだけ安全対策をほどこしたところで、いつの日にか事故は起きます。これが社会単位になると、もう「いつか」ではなく、確実に年何人という単位で誰かが死んだり手足を失ったりしています。それでも全体として見れば現場は止まることはありません。

それは極端な言い方をすれば、そういった命や手足の犠牲を払ってでも、社会が生きていくことを欲しているからなんですね。

ただ今私が着ている服の繊維を作るために、本日私が食べたコンビニ弁当の中身や弁当がらを作るために、誰かがどこかでいくばくかのリスクを支払っています。事故を起こし、言葉もなくすほどの犠牲者を出した線路も、そのために電車が永遠に止まってしまうことは、おそらく、ありません。

むごい事故ですが、それでも残されたものは生きていかなければならないということが、一番むごいことなのではないでしょうか。

ただ今のニュースで、福知山線脱線事故の死者は76名と報道されました。

犠牲者のご冥福をお祈りします。




拍手レス

フミエさん→いつもご訪問ありがとうございます! そしてこのどこまでもどこまでも続くアナザーディメンションを気に入っていただけるのも大変ありがたいです(笑) アナザーだからなのか何なのか確かに光速で展開してますね。さらにリンクまで……と、言っている間にそちらのお宅に伺えなくなってしまったのですが、どうされたのでしょうか(汗