使いたい素材用写真が数えきれないくらいあるので、更新ごとに変えていくことに決めました。嫌な言い方ですが、自分へのご褒美ということで。とりあえず、雨なので雨を更新です。先が固まっていない小説で実は不安ですが、唸っていてもしょうがないかな、と。
さて、一気に冷え込みました。皆様いかがお過ごしでしょうか。日本の春は桜が連れてきますが、日本の冬は野分(*)が連れてまいります。大分気の早いことを申しているようですが、数日来の温度の下がりかたのことを考えると、思わずそんな連想も出てしまいます。
よくある話題として、「夏が好き?冬が好き?」という二者択一があります。好みは人それぞれですがしかし、よく考えてみるとこれは『物資が豊かな状態で』という見えない但し書きがつきますね。果物も氷菓子もビールも、出かけるための水遊びの場も豊富なら、照りつける猛暑もそんなに悪くないでしょう。去年しまったっきりのお気に入りのコートや、十二月の一時期にしか体験できない異国風のムードに再会できるなら、吹きすさぶ北風もそりゃあ楽しみだと思います。それがまったく無ければ盛夏や真冬の極端な気候は、恐怖以外の何物でもないでしょうから。
ごく普通の日本人の常として、私は生まれてから今までただの一度も、空腹で真剣に困った記憶がありません。一時的に極端に腹が減ったことはあっても、せいぜい「ちょっと持ち合わせがないから、忌々しい思いをした」とか、そのくらいの危機でした。そしてよほど予想外の事態が発生しない限り、死ぬまでこのままだと思います。よく考えなくてもとんでもない話だし、とんでもない国家です。日本というのは。
四季にはそれぞれの風情があります。それらの大半は、よく考えると「ただ生きていく」だけのためには、まったく無駄なものでできています。ですが、これらを全て外してしまったらどうでしょうか。日々生きている実感が無くなるどころか、実際に生命に危険が迫るような事態が、ままあるんではないかと思います。
先ほど「物資があるということを前提で〜」と申しましたが、ちょっと訂正させてください。「物資がある」=「豊かである」ということと、文化が成り立つということは、別々のテーマではありません。豊かさと文化は不可分です。何かが継承されていくということは、必然的に物質面での豊かさを呼ぶし、伝えていくという行為そのもののことを、文化と呼ぶからです。
雨はただの自然現象ですが、雨によせる郷愁は、そうではありません。
どうもまとまりがなくて申し訳ないですが、寒いのは確かです。皆様どうぞご自愛下さい。
*…台風
|