ひとりごと
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| ヤスおじちゃまのこと |
2004年05月30日(日) |
ヤスおじちゃまのお葬式がすんだ。 体は小さな壷の中に。 魂は天国で待つ奥さまのもとへと旅立った。
康叔父は、亡くなった祖父の弟だった。 90歳のこの大叔父を、私たちは「ヤスおじちゃま」と呼んでいた。 お子さまがなく、奥さまも亡くなったので、 実家の私たち家族が一番親しい親戚で、家族だった。 私たち姉妹はまるで孫のように、甥や姪たちはひ孫のようにかわいがってもらった。
幼い日の記憶にある最初の頃からおじいさんだったのに、いつもはつらつと明るかった。 温泉旅行や食べ歩き、博物館やミュージカル。 いろんなところへ連れて行ってもらった。 おしゃれで、おいしいもの好きで、珍しいもの好きで、かわいいものも好きで いつも何か新しいことを考えているダンディなおじいさんだった。 80歳を過ぎてから、パソコンだって始めたのだ。 90歳になっても、ひとり暮らしのマンションに新しい家具を買ったのだ。 100歳だって、軽く迎えられると思っていた。 なのに。
体調が悪くて入院したのは、ほんの1週間前のことだった。 とっても心配したけれど、病院のベッドでは快適そうににこにこしていたと言う。 妹に言いつけて、ドリームジャンボ宝くじを買いに行かせる余裕もあった。 (ヤスおじちゃまは、とてもくじ運がよかった!) お医者さまは、高齢であるのでいつ何があっても、とおっしゃっていたけれど 全然そんなだとは、誰も思わなかった。 それでも、早くお見舞いに行こうと思っていた。
私は、姪たちに縫い物を頼まれていたので、 それが仕上がったら、届けがてらお見舞いに行くつもりだった。 水曜の朝に遊び着がやっとできあがり、大急ぎでそれを包んで支度をした。 家を出る前に庭に出て、たくさんの花を摘んでお見舞いの花束を作った。 ピンクや白の薔薇たち、白いアスチルベ、ニゲラ、フウロソウ、ゼラニウム、ホタルブクロ、 そして涼しげなナルコユリやギボウシの葉っぱをふんわりと束ねた。 ヤスおじちゃまは、いつも私の庭の花を誉めてくれていた。 嬉しそうな顔を思い浮かべた。 まさかその花束が、その日のうちに棺に入るだなんて、思いもしなかった。
実家に寄らず、駅から直接病院に行ってヤスおじちゃまを見舞った。 母がひとりで付き添っていた。 ヤスおじちゃまは想像したよりも悪そうだったけれど、確かに私を認めて手を握ってくれた。 大きなごつごつした両手で私の手をしっかりと包み込んで離さなかった。 その力の強さに少し安心し、たくさん不安になった。 「元気になったら、また寿司清に連れて行ってね。ハヤシライスも食べに行こうね。」 と、声をかけながらも、半分はもう夢のような気がしていた。
やがて遊び着を待ちきれない姪たちと妹も病院にやって来た。 その場で着替えて、小さな姉妹のかわいい姿を見てもらった。 何かを食べたそうな仕草のヤスおじちゃまに、 看護師さんにお願いして小さな氷のかけらを口に入れてもらった。 透明なかたまりが、口の中でころころと音を立てた。 「おいしい」と、ヤスおじちゃまは満足そうに言った。 嬉しかった。
私と妹は安心して、また来る、と約束して手を握り、ヤスおじちゃまに別れを告げた。 そしてスーパーで夕食の買い物をして実家に帰った。 病院の母から知らせの電話があったのは、キッチンで買い物袋を開けているときだった。 私たちが帰ったあと、静かに眠り始めてそのままだったと言う。 「おいしい」が、最後の言葉だったのが、ヤスおじちゃまらしかった。
昨日のお通夜も、今日のお別れの日も、真夏のように暑い明るい日だった。 これも、晴れ男で湿っぽいことの嫌いなヤスおじちゃまらしかった。 悲しみはいっぱいだったけれど、その席は決して暗くはなかった。 人生を楽しんで、人を愛しみんなから愛され、90歳の天寿を全うしたヤスおじちゃまは 幸せだったと誰もが思うから。
家族で考えていることがある。 ヤスおじちゃまの買った最後の宝くじが当たったら(きっと当たる!) みんなで寿司清に行くのだ。 写真を持って行って思い出話をしながら、感謝しながら、 ヤスおじちゃまが「もう一度食べたい」と言っていたお寿司を味わうのだ。
ヤスおじちゃま、どうもありがとう。 さようなら。
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