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----------2005年12月29日(木) 不完全な三段論法

■明日のことを考えなければならないはずだ、どんな表情を取り繕うのか、多分明日、私は「それ」を聞く。「そのニュース」を聞く。こんな予感が働いているときは動物的といってもいいほどの勘が働いていることくらいもう知ってる。「それ」はデジャヴとして現れる。必ず。

■「号泣する準備」くらい、できてる、とっくに。12年も前から。周到に。

■自らにマゾヒズムの身振りを強いるのは、自らのサディズム。己で己の傷を切り開き、笑ってみせるのは得意技のはずだ。

■恐れることも怯えることも何もない。それをわざわざ書きつけるのは「文学的な理由から」であって明日何を聞こうが泣きもわめきもしないだろうことも、もう分かっている。粉飾するのが好きなだけ、自分が粉飾した「現実’」に溺れるのが好きなだけ、「現実’」を生きてみたらこんな気分だろうか、と空想を弄ぶのが好きなだけ。

■明日のことを考えなければならないはずなのに、仕事が鎖骨を砕いていく。

■だから明日のことは考えなくていい。