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----------2005年12月19日(月) そうして今日も題名はない

■自分で自分についた嘘に翻弄されて愚弄される。ありもしないことなのだから、もしもそうなら面白いのにね、とくすりと小さく笑ったらそれで終わりにしてしまえばいいのに、ありもしないことがいつの間にか前提となってそこから際限のない仮定が導き出されてしまう。

■しかもそこにクッションはない。

■無限の動機も結局はたった一つの行為に収斂されてしまう。どんなに数多くの可能態も結局はたった一つの現実態として現れるしかない。宿命の盲点を衝くことはできない。

■帰宅したら11時でそこからお風呂に入ったりしてたら12時半で遅い遅い夕食−といってもご飯におみそ汁をかけてじゅるじゅるとかきこむだけなのだけれど−を食べてふぅ、と息をついたら1時、さて洗い物をしようかしら、と台所に立っていたら泥酔した母が帰ってきて「もうええ、うちがするから」と手にもっていたスポンジをひったくられて押しのけられた。世界は自分ひとりのペースで動いていないということを理解することなく彼女は老いていくのだろう。

■「私あのへんの子たち嫌いだから」という同僚の言葉に愕然とする。嫌うには理由が必要なはずだ。生理的に嫌い、というのは確かにある、私だってもうお願いだから勘弁して、といいたい人の1人や2人はいるけれど、シフト表の名前の並び順に従って人を嫌う、というのはいったいどういう精神構造に端を発しているのだろうか。私は私の一個下に名前のある彼女を嫌ってしまいそうだ。

■雪で困っている人がたくさんいるというのに雪は降らないのかな、だなんてごめんなさい。でも、雪が、見たい。