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----------2005年04月29日(金) われわれは機械の前で思考停止を強いられているか??

「記述の選択は、グノーシス主義的二元論が提示する神と世界との絶対的分裂に対して神と被造物の連続性を置くために成されたものである。しかし、記述と連続するものとして提示される神は、論理的に言って記述に内在することになり、その結果、記述内での至高の優越性として現れるにしても(実はそれすら危ういものなのとなるのだが)、絶対的超越性という属性は消滅する。言わば神は、論理的に言えば、記述の表現性の網目の中に解消してしまうのである。」(丹生谷貴志「砂漠の小舟」/筑摩書房)

もしも神が絶対的に超越しているなら記述はそれを捕えることは絶対にできない。記述に捕えられた時点で絶対的な超越を失う。





記述は常に、外部を残す。

若しくは

記述は常に、空隙を内包する。

もしかすると逆に虚しい記述を連ねることがそこに絶対的超越が存在していることの証拠になるのかもしれない。たどり着けないものがあるということを忘れないこと。

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意識の範疇から遠ざかること/動物の神聖(G・バタイユ)、発狂(ニーチェ)、拡散、逃走(ドゥルーズ)。それともそんな困難なことではなく、われわれは機械の前で思考停止を強いられているか??

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??? どういう意味だ? 数年前の自分の思考の跡が読めない。とにかく思考停止を強いられていることだけは、確か。