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----------2005年03月12日(土) 降り積もる白いもの

「そのように行動するいかなる動機も読み取れないあいだでも、ある意味において行動すること。最も苦しい行動。極度の不安。(・・・)しかし、それが水準を変えるための唯一の梃子(梃子のひとつ?)である−内的砂漠に対する救済策。」(シモーヌ・ヴェイユ「カイエ1」/みすず書房)

どうにかして気分を変えなければどうしようもないと思ったのだった。ベッドの上に身体を横たえていても疲労は降り積もり、気分は塞ぎこみ、人間のたてる生活の音に対して過剰に敏感になり不快感の塊が胃を満たす。起き上がってみてもまたすぐにしゃがみこみ床につっぷして頭を抱えるのがやっとなのだから仕方がなかった。

だからとにかく雪が降っていれば何処でもよかった。出町柳から叡山電車に乗り換え鞍馬に向かう。

午後5時過ぎの鞍馬には誰もいない。ただ白いものだけがゆっくりと降り積もろうとしている。薬を持ってくるのを忘れた、と思った、眠ってしまえば数年前に望んだことが容易に叶っただろうに。どうせ人口過密な街に生まれた、どうせ人口過密な街しか知らない、少し電車を乗り継いでいけば見捨てられた場所は簡単に見つけられるのだ。

白く冷たいものに全身を凍らせて、日の暮れ始めた山道を、ハイヒールで歩く。それはひどく滑稽で、ひどく場違いだった。もっと寒く、暗く、厳しくなればいいと思った。何もかも、漂いはじめた闇と白いものに交じって溶けて見えなくなってしまえばいいと思った。

おそらく今頃、あの場所は完全な闇と雪と静寂が支配しているのだろう。

内的砂漠など凍らせてしまえばいい。