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----------2005年03月06日(日) 罪と罰
「神々がシーシュポスに課した刑罰は、休みなく岩をころがして、ある山の頂まで運び上げるというものであったが、ひとたび山頂にまで達すると、岩はそれ自体の重さでいつもころがり落ちてしまうのであった。無益で希望のない労働ほど怖ろしい懲罰はないと神々が考えたのは、たしかにいくらかはもっともなことであった。」(カミュ「シーシュポスの神話」/新潮文庫)
終わらないのだ。
どんなにどんなにどんなに処理しても終わらないのだ。
圧倒されすぎている、平静を失っている、興奮している、慌てすぎている、焦りすぎている、懸命になりすぎている、苛立ちすぎている、
なすすべがなさすぎる、人が足りなすぎる、頭の中がぐらぐらしている。
私ひとりでどうこうできる問題ではないのだからそんなくだらないことのためにこんなに余裕を失ってしまうのは非常に口惜しいことだ。
だからいったい私はどんな罪を犯したのだろう、と、必然的にそこらへんに悪しき思考パターンは落ち着くのである。
犯したに決まってんじゃん、私はジンセイにマジメに対峙していない、とかなんとかまた自虐モードに突入していくからいやなんだってば、アタシは「会社に所属してる人間」になりたくなかったの、それは小さな頃から絶対絶対決めてたことなの、今となってはサイアクの条件でこき使われてるじゃん、とかそういう意見があることも認めるよ、けど名刺差し出して○○社の××でございます、とは言わなくてもいいの、○○社の××でないこと、それには自分なりにある種の矜持を抱いてんだからそれでいいでしょ、いい、いい、だから明日も転がってくる岩を押し上げてやるよちくしょー。
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