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----------2004年12月01日(水) 私の声を聞きなさい
「あらゆる芸術作品はサディストの表現か? 自己を主張する限り、それは戦うことなのだ・・・しかしどのような存在が、「面と向かって」自分を明らかにするに価するのか、またわたしにとって「正確には」なにが必要なのか。わたしのうちのすべてが反逆する。生はまだ、胸を締め付けるすすり泣きの声さえ抑えているのか? わたしはむしろ、思想の胸倉をつかんで捕え、それが死ぬか、腐った息でわたしを殺すかするまでじっと見据えていたい。」(コレット・ペーニョ「ロール遺稿集」/リブロポート)
私は人と接することが苦手である。一見極めて社交的で物怖じなんてしないし、人見知りでもないので誰もそんなふうには思わないかもしれないけれど通常の会話や通常のやり取りで自分を伝えられていると感じることはまずない。伝わっていない、というもどかしさは常に身体中にまとわりついて、真夜中にひとりでアタマを抱える。
会話が下手だ。論理的な言葉を吐き、筋道を立てて話すことはできても、それはあくまで感情の上っ面でしかなく、手振りや身振り、視線やちょっとした表情の変化を加えても、多分10分の1も伝わっていない。
だから書く、そうすれば10分の3くらいは伝えられる、ような気がする。けれどまだ足りない、まだまだ足りない、違う、そんなことが書きたいのではない、キータッチは勝手に私からずれていく。
・・・もっともっと直接的な表現を私は知っていた、いいや、違う、知っている。あの瞬間だけは10分の7くらい、自分を伝えることができる、たとえ一度徹底的に裏切られ、また私も裏切ったとしても、あの瞬間以上に両手両足に絡みつく鎖から自由でいられる瞬間をいまだ知らない。
私の声を聞きなさい、それは多分、まだ聞かれるに価する。
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