| 2011年01月11日(火) |
恩師が、逝かれました。 |
学生時代まるまるお世話になった、 狂言師・野村万之介先生が去る昨年12月25日午前3時55分、 ご逝去なさっていました。 今日、公式に発表になり、私は訃報に接しました。 以下時事ドットコムから引用。
和泉流狂言師の野村万之介氏死去
野村 万之介氏(のむら・まんのすけ、本名悟郎=ごろう=和泉流狂言師) 12月25日午前3時55分、肺炎のため東京都港区の病院で死去、71歳。東京都出身。 葬儀は近親者で済ませた。 しのぶ会を2月22日午後7時から 東京都港区南青山4の17の58のホテルフロラシオン青山で行う。 連絡先は「万作の会」(電話03−3997−5899)。
重要無形文化財保持者(総合認定)。 故六世野村万蔵の五男で、共に人間国宝の野村萬、野村万作の弟。 「万之介狂言の会」を主宰し、古典狂言で洒脱(しゃだつ)な芸を見せる一方、 おいの野村萬斎演出の舞台「まちがいの狂言」などでも活躍した。
(2011/01/11-19:1)
ついったー上の狂言研関係者の不穏なつぶやきで知って、 まさかと思って検索かけたらあっさり事実がわかりました。 いまでも信じられません。
なんで去年の万酔会行かなかったんだろう私…
でも3月の記念パーティーで会えると思ってたのに。 2年前にお会いした時は、ご病気したとは言いながらもお元気そうだったのに。
知った直後はツイートする指が震え、しばらくしてから思わず泣きました。
夏合宿で毎回先生のマッサージ係を仰せつかったこと。
2年の合宿でマッサージしてるとき 「最初君の太郎(蝸牛のとき)はなかなかだと思ったのに、今日のはなんなの?」 と褒められた&注意?されたこと。
大勇でいいちこ(梅干し入り)をしこたま飲まされて潰れかけたこと。
松山公演にいらしたとき楽屋にご挨拶に行って、このとき時間がなかったので 翌日勤務中に時間単位で有休取って(先生に呼ばれた) 道後温泉まで行って地ビールごちそうになったこと。
結婚してまた首都圏に戻ってきて万酔会行ってご挨拶したら、 「君、鹿児島に帰ったって聞いたから鹿児島公演のとき会いに来るかと 楽しみにしてたのに来なかったね」 と言われて恐縮したこと。
ほかにもたくさんたくさんたくさん、今になって思い出されます。
私が1年のとき有馬記念で大勝されてたなーとか。 皆で大井競馬場に連れて行ってもらったなーとか。 何かの作業で先生のお宅にお邪魔したなーとか。 まつ毛がふさふさで上向きでビューラー要らずで羨ましかったなーとか。 (若いときはマッチ棒が何本も乗った、とか自慢されてたっけ) 初めての合宿の時の稽古で、左右の足を掛け間違って怒鳴られたとか。
いますぐ、当時のメンバーで酒飲みながら先生を追悼したい。 せめてメールで連絡して語りたい、と思ったけれど 訃報を喧伝するようで気が引けて、結局Twitterでいくつかつぶやいたくらい。
2月22日のしのぶ会行きたいな… 旦那に話したら仕事が忙しい時期なので難しいと。 義母さんに頼むという最終手段を思いついたけど 確か火曜日は忙しい日だったような気がする。 あとは…実母に上京してもらってドナルドの面倒を見てもらうしか。。。
それにしても、じわじわと力が抜けていきます。 ドナルドが3歳くらいになったらOB会の門たたいちゃおうかな、 なんて妄想もしていたのになあ。
OBの名簿について私が現役生にメールをしたのが奇しくも25日午前2時頃でした。 現役生からは28日に返信があり、 担当者が多忙なためという理由で代理の人からだったんだけど これはきっと…先生のご逝去でいろいろあったのでしょう。 あとからわかる事情。
実は先生に潰されかけてからいいちこは敬遠していたのだけど、 これからは別の意味で気軽に飲めない酒になりました。
先生、もう少し、いえ、もっともっと長生きしていただきたかったです。 残念で無念でなりません。 OBの方のブログを拝見していると、また涙がこみ上げてきます。
そうだ、六狂連発足のパーティーで、
「僕には子供がいないけれど、 その分教えた学生たちが子供のようなものだと思っています」
とおっしゃってました。 その時も思わず涙したものだけど、このようなことになって余計に胸に迫ります。
先生、どうぞ空の上でまたお酒と煙草と馬と、狂言を楽しんでくださいね。 もう先にいらした奥様と存分に楽しんでらっしゃるかな。
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