普通に仕事。
と言っても溜まった書類をシュレッダーにかけたり。 手元に届いた報告物をシステムに入力したり。 同じく退職する女性の先輩2人と皆様にお菓子を配ったり。
空は素晴らしい青空で、先輩方と 「お別れするのにすごくいい日和だね」 なんて言ったりしました。
湿っぽくはならなかったですねぇ。
最近はスパンが長くなってはいますが、 元々3〜4年ごとに全国転勤アタリマエの職場なので、 誰かが異動になる、誰かが退職する、くらいでは 職員の皆様は動じないみたい。 まぁ私もあまり動じなかったけど・・・・・(いやホント)
定年退職とか、辞めたくないけど辞めなきゃいけない人は そりゃあ涙・涙なのでしょうが、そうじゃないからねー それに今月下旬は送別会ラッシュで散々別れは惜しんでるしね(^^;
ああでもお世話になりました。
どんなに嫌な職場であっても「社会人」青嵐の第一歩を踏み出したところだしね。 すっっっごくムカつくことがあっても、 時間が経ってしまえば納得できたりもしたし(できないこともあったが)
仕事が出来なくても人間的にいい人(って誉めてない気もするが)もいたし 仕事が出来て、かつ人間的にいい人も少なからずいました。
3年間ありがとうございました。 (って誰もこの日記知らないけど)
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↑と、夕方の時点ではこんな感じだったんですが。
最後の最後で泣いちゃったよぅ!!!!!!
自分の机を整理して、机拭いて、 ディスプレイにたくさん貼っていた仕事関係の付箋はがして、 私がもう二度と座ることは無い机を数秒眺めていたら。
なんか凄く泣けました。 頑張っていた記憶が走馬灯のように頭の中を去来して。
お疲れ自分。これからも頑張ろう。
>羽瑚
メールありがとう!凄く嬉しかったですo(>▽<)o
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そうそう父も今日定年退職の日でした。
皆様に見送られて、とても良い日だったみたい。 長い間お疲れ様でした。ありがとう。 来月からの嘱託生活も頑張ってね。
・・・・つーか帰り道居眠り運転で事故ったらしい。 代車で脱輪したそーな。パパ・・・・・!!!!!!!!�堯�T□T;
幸い怪我もなかったし、怪我させた相手もいなかったし、 まぁブレーキオイルくらいは弁償しないといけませんが、 それでも不幸中の幸い。
これで厄が落ちたってことになるんでしょうかねぇ。
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以下昨日書き損ねた独り語り。 今後立ち止まってしまったときのための覚書。
もともと就職するときにも「3年経ったら・・・」とぼんやり思ってました。 (その時は冗談で「大学に戻ってきて勉強するのー」とか言ってましたが)
私が就職活動していた年は(確か)超氷河期と言われた年で、 頑張っても頑張っても受からない友人がいたり、 受かっても見通しは明るくなかったり、 ずっと会社のために頑張ってきてた人がリストラされちゃったニュースとか流れたり、 まぁそういう時代でした。
って時代のせいにするわけじゃないんだけど、 そんな環境プラス自分のやる気の無さが見事に結びついて、 就職活動も自分で「これはヤバイだろう」と思うくらい動いてなかった。 本当に自分が何をしていいのかわからなかったしね。
でもとりあえず自分の食い扶持は自分で稼がないといけないこと、 それには「ちゃんとした」ところに就職しないと親が喧しいこと、 これはわかっていたのでまぁやってました。 それで今のところに運良く受かったわけだけど。
(だけどここもねぇ。。。。 私はひとつSE職種で民間企業に内定をいただいてたんだけど、 公的職種信仰が根強い両親、特に父親に反対っつーか説得されて、 んで半官半民ないまのところを受けて、受かったのでした。 なので失礼ながら入りたくて入ったわけでもやりたい職種だったわけでもない。 ・・・・SEやりたかったわけでもないけど・・・・←ダメダメ)
しかししょっぱなからそういう意識なので、 社会人1年目の初めの頃はそりゃもうやる気ないですよ。 はっきり言って、本気で「9時17時仕事」だと思ってたし。 ↑実際にはンなこたぁ全然無かったです。
加えて「新人に教える」ということが出来ないひとたちばっかりだったので (これは今でも認識変わってません。指導するの下手だと思う) わけのわからないうちにいろんな仕事押し付けられたり 組合関係の役職につけられたり、←飾り物じゃなくて物凄く要実務の役職 なんで私がやらなあかんのよ!?と鬱屈の溜まる日々。
もともと自分がやりたくて飛び込んだ世界ではないし、 いやまぁやりたかろーがやりたくなかろーが仕事は関係ないけど、 直接の上司である係長は仕事やってるようには見えないし、 つーかわからないこと聞いてもまともな回答返ってこないし、 課長は新人課長でほのぼのしてるけど仕事は・・・な人だし、 経理係長@女性には理不尽なことで怒られるしやっかまれるし、
1年目が3年の間で一番辛かった・・・・・・・・(しみじみ) いや、もちろん世の中にはもっと大変な人はたくさんいるけれどもさ。
それでもホントに辛かった。 学校に行きたくないと思ったことはなかったけど、 仕事に行きたくないと何度思ったことか。
あの時エド@ハガレンに出会ってなかったら本気でヤバかったかも。 (ヲタで良かったと心底思ったねあの時は) エドっ子の前向きな姿勢にはホント励まされました。 私にとってエドっ子はある意味救世主だよ。
2年目は業務と私だけ新しい施設に飛ばされて、孤軍奮闘の毎日。 上司は理解ある人だったし全然畑違いの仕事をしてきたひとなので、 実質的には好き勝手に私がやらせていただいた感じ。 この年が一番充実してたな。
でも「(君がしている仕事は)施設としては2番目の仕事」と言われたことがあって。 課長は全体を見るわけだから、そりゃその立場からすれば当然かもしれませんけど。 だけどその担当としては言われたくないよねー(^^;
3年目は私が1年目にいた施設と2年目にいた施設が一元化。 それで1年目にすぐ上にいた係長と再び組むことに。 課長は1年目によく飲み歩いた別の課の課長。
うーん。それでね、私がやっていた業務の一部を、係長に回されたのね。 楽になってラッキー★と思わなくも無かったけど、 それよりもなんかね、仕事盗られたように思ったんだよね。
ちゃんと私は1年頑張ってきたのに(失敗はあったけど) それでも係長を選ぶんかい!みたいな。 係長に回された仕事というのは経理処理関係だったのですが、 それは私1年目もやってたことだったのね。 加えて、本来なら係員が出来るのであればそれは係員に任せて、 上司は更なる業務推進を目指すべきじゃないかと思ってたのよ。
いやー2〜3年目は
「私が全然頼りにならないってことなんですか!? じゃあこんな仕事の量寄越さないでくださいよ!? 私がいきなりいなくなったら困るのは皆でしょ!?」
とか酒飲むたびに言ってたなはっはっはっはっは。 若気の至りってやつですね。
そのうち半民半官のうちのような組織は潰される、 もしくは縮小される可能性があるということが現実味を帯びてきて、 いまはいいとしても40歳とか50歳とかになったとき、 一体私はどうなってるんだろうなぁと思って。
ちょうど一年前に退職した同期の言葉も、ずっと頭にありました。
「私、いまの仕事でこんなにお給料もらって、もらいすぎ。って思う」
彼女は福祉関係の希望をしていて(で、結局そっち方面へ転職した) そうすると福祉関係の給与水準がどの程度かよくわかっているわけです。 頑張って人のお世話をして、もらうお給料より、 一日机に向かって書類処理するいまの仕事のお給料のほうが高い。 比較すること自体が間違っている気もしますが(仕事違うんだし) しかし世間様で叩かれてる「官は甘い!」の実態を見るような気がしました。
それに私は主に再就職を支援する仕事をやっていたのですが、 とか言いながら自分は実際には民間に勤めたことなど無いのですよ。 市場の動向やら中小企業がどんなところなのか、 実際にWordやExcelがどう使われているのとか、 実感として全くわからないわけです。
にもかかわらず知った顔して応対するのが嫌になったんだよなぁ。
んで企業まわりとかして積極的に採用側の本音とか聞いたりしよう!としたら 「君がいなくなったらどうするの? (後任の人に面倒な仕事を任せることになっちゃうじゃないか)」 って言われたりねぇ・・・・orz
なのでとりあえず転職活動はしてみよう、と思って始めたのが去年の夏。 運良く大手企業の最終面接まで進んだものの、 最終面接の前日に、父心臓発作および入院、挙句に手術。
・・・・・・・・・・・orz
そのとき母親に 「万が一のことがあったらあんたが頼みなんだから、いまの職場辞めないで」 と言われまして。 おいおいおいおい私は一体なんのために働いているんですか??
まぁ昔から母は言葉に鈍感な人で(その癖自分が傷つくとものすごく人を非難する) それはわかっているのですが肉親に言われる言葉ってホントきついよね。
(『愛すべき娘たち』© よしながふみ で、 自分の母親に「ブスだブスだ」と言われて物凄いトラウマになった、 という話がありますが、その気持ちすごくよくわかるなぁ。 母親の言葉に未だに縛られているのを実感することがこの歳になってもある。 槇村さとるの『Do Da Dansin'!』で母親に囚われている娘に対して、 主人公が「そんなの親じゃない!」と言う話がありましたが、 いやーそう簡単に割り切れるもんでもないよなぁと思う) なんかもー嫌だなぁ、と。
転職を考えたのは別に親に反発して、というわけではありませんが (多少無くはないけど原因ではないと思う。要素もある、という程度) よくわかんなくなってきたんですよね。 なんだよ結局自分のために私に今の職場に入れとか言ってたのかー この人自分のことしか考えてないんだなー私は道具かよー
という公私にわたるダブルパンチで、 「とにかくやるなら今なんだしやってしまえ!!!!」 と決意するに至り、転職することにしたのでした。 そしてどうせやるなら大企業の一歯車としてやるのではなく、 ゼロから作り上げるような、 絶対苦労するのが目に見えてるような職場に転職してしまえ、とね。
なんかこう、職場が嫌でも仕事は好き、ってなりたかった。 組織から離れても、自分の腕で食っていけるようになりたい。 親が面倒見てくれというのなら(いっそ逃げたいがなかなかね・・・・) せめて自分も幸せでありつつ、親の面倒を見たい。
いま、退職直後のいまは、やっぱり感傷もあるけれども、 でもねぇ、決して無鉄砲に飛び出したわけじゃないんだよね。 転職先はすでになんか内部がゴタゴタしているようですが(苦笑)
うまくまとめきれてませんが、そんなことを思ったのです。 そして広い世界が見たいのであれば、いまがチャンスだと思ったのです。
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