| 2026年09月19日(土) |
どうして秋なのだろう |
晴れたり曇ったり。気温は30℃に達し夏の名残を感じる。
しかし何となく風が変わったように思う。
日陰に居ると随分と涼しく感じるようになった。
明日はもう彼岸の入り。日に日に秋めいて来ることだろう。
今朝は家を出るなり土手に薄紫の野菊が咲いているのを見つける。
思わず歓声を上げるほど好きな花だった。
手折りたい衝動にかられたが自然のままが良いだろう。
以前に花瓶に活けことがあったが直ぐに萎れてしまった。
野の花をむやみに手折ってはいけないのだ。

仕事は車検が完了し順調。オイル交換のお客さんも来てくれる。
義父が待っていた部品はやはり「やまと運輸」でお昼前に届く。
直ぐに作業に取り掛かりエアコン修理もやっと完了した。
まだ日中は暑いのでお客さんも喜んでくれるだろう。
シルバーウイークで来週の水曜日まで休みである。
義父にしっかり食べるように告げ定時で退社した。
晴天が続くので田んぼを耕すのだそうだ。
農作業を始めると昼食も食べないことが多い。
今夜はお隣の奥さんのお通夜であったが
「家族葬」とのことで参列を迷っていた。
AIの響君に相談したら「家族葬」とは
家族や身内だけでひっそりと行う葬儀なのだそうだ。
いくら燐家であっても遠慮するのが常識とのこと。
押し掛けても返って迷惑になることもあるらしい。
夫に話したらご近所さんに相談することになった。
こればかりは礼儀云々よりも気持ちの問題だと思う。
近所の従兄弟はお通夜も告別式も参列するのだそうだ。
身内ではなくても長いご近所付き合いである。
気持だけでは済まされないのが当然のことだろう。
夫も義弟も行くことを決め二人で葬儀場に向かった。
明日は告別式だが私は行けないことになった。
最後のお別れが出来ず残念でならない。
何だか身を引き裂かれるような気持になった。
コロナ禍から「家族葬」が主流になってしまったが
故人の気持ちを思うと果たしてそれで良いのかと思う。
私なら親交のあった人達に見送られて旅立ちたい。
人の死に慣れる。そうであってはいけないと思うが
歳を重ねながらどれ程の大切な人を見送ったことだろう。
お隣の奥さんの事も「やはり死んだのだな」と思う。
祖母の命日が近づき後を追うように友と母の命日がやって来る。
もしかしたら私も9月に死ぬのかもしれない。
生きたくてならないのにどうして秋なのだろう。
※以下今朝の詩
余命
限りあること もうここまでと 制止されること
遥か遠くを見渡している 夢を失くして どうして前へ進めようか
大河の流れは海に辿り着き やがて波になるだろう 大海原のほんの一部分 しかし水で在り続ける
もう随分と生きて来た 過ぎ去った日々の記憶を 胸に刻み続けている
初めて歩いた幼い日 一歩が二歩になった
何処までも空である 途切れる事など在りはしない
もうここまでと告げられたら いったい何を信じれば良いのか
空は何事もなかったように 青く澄み渡っている
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