ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2026年02月01日(日) 永遠の「明日」

少し風があったがたっぷりの陽射し。

ご近所さんの紅梅の蕾がふっくらと膨らむ。

もう少しで「立春」である。目の前が明るくなった。


最低限の家事だけで後は殆ど寝て過ごす。

もっと有意義に過ごすべきだろうが

寝るのも生きるうちだと思う。

せかせかと動き回らないことだ。

のんびりと元気なのが一番である。


「行って来ます」とめいちゃんがイベント会場に向かったが

帰宅して訊いたら足摺岬へ行っていたそうだ。

イベントは「椿祭り」だろうか。もうそんな季節になった。

足摺岬の「椿のトンネル」が目に浮かぶ。


午後も4時前まで寝ていたが

息子から頼まれていたスーツを探してみた。

何と成人式に誂えた古いスーツである。

けい君の卒業式に着て行くとのこと。

ズボンのサイズさえ合えば大丈夫だろうが

あまりに古いので気になってならない。

それでも息子は着れさえすれば良いと云う。

中学校の入学式にも着て行くのだそうだ。

一人親として精一杯なのが伝わって来る。

二人の晴れ姿を一目見たくてならない。


夕食後、暮れなずむ空を仰ぎながら

「笹原メイ」さんの日記と詩を読む。

淡々とした日記であるが「暮らし」が滲み出ている。

それは「いのち」にも等しく共感をおぼえる。

年齢は不詳だがまだきっと若いのだろう。

詩を読めばそれは一目で若さが漲っていた。

まぶしいなと思う。こころが惹かれずにいられない。


私もこの日記を書き始めて24年目となるが

まだ40代だったころの日記はとても拙い。

読み返すと恥ずかしくて穴があれば入りたくなる。

よくもまあこんなことを書いたものだと思う。

それが次第に落ち着いて来たのは加齢のおかげだろう。

今は落ち着き過ぎたのか何ともつまらない日記になった。

けれども見放さずに読んでくれている人達が居てくれて

毎晩こうして書くことが出来るのだと思う。

宿題の日記を先生に読んでもらうと「花丸」が貰えた。

そんな子供の頃と何も変わっていないのかもしれない。


最後かもしれないと毎晩思う。

それではあまりにも心残りでならない。

しかし永遠の「明日」など在りはしないのだ。


※以下今朝の詩


    如月

暮れなずむ空を仰いでいた
ことんことんと
一日が終わろうとしている

カレンダーを2月にすると
「節分」「立春」「雨水」と
早春の声が聴こえて来る

もう冬ではなかった
たしかな春がそこに在る

雪もきっと雨に変わり
福寿草の花が咲くころ

別れもあれば出会いもあり
涙もあれば笑顔だってある

生きてこその春であった
一日を一生だと思って
一歩一歩と明日に向かいたい








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